世襲批判と矛盾
「父親の秘書官を務める息子」といえば政治基盤を引き継ぐための後継者のイメージを抱くが、菅父子のケースは、永田町によくある単なる世襲とも事情が異なる。菅自身、「(明治学院)大学を卒業後、プラプラしていたので秘書官にした」というが、“不肖の息子”を政治家にするつもりはないかもしれない。
総務大臣秘書官に就任したとき正剛は25歳の若さだった。周知のように、第一次安倍政権は1年足らずの短命に終わり、それから1年ごとに首相が交代した。福田康夫のあと麻生太郎政権になり、菅は自民党の古賀誠選対委員長に拾われ、選対副委員長として2009年の総選挙を戦った。このとき古賀が党の選挙公約として「次の衆院選から3親等以内の親族の同一選挙区からの立候補を禁ずる」と掲げた。「世襲を許せば自民党が死ぬ」という菅の世襲批判発言は、このときのものだ。
世襲議員だらけの自民党内で禁止公約を打ち上げた張本人が息子を秘書官にしたままなのは具合が悪い。長男の正剛が東北新社に転職したのは、この間の2008年である。詳しくは『文藝春秋』2020年12月号に書いたが、菅の郷里である秋田の幼馴染によれば、自己破産した実弟まで菅事務所で働いていた時期があり、弟もまたJR東日本の子会社に転職した。JR東日本は菅が1996年に初当選して以来、2代目社長の松田昌士を中心にバックアップしてきた。弟もまたずいぶん助けられた。
ある総務官僚は、長男の総務官僚接待を指し、「菅総理のネポティズム(縁故主義)問題」と表現した。それは政治家としての世襲という形ではない。身内を政官業のトライアングルの中に置いて利権の関係性を保つ手法に思える。
そこに大きく協力してきたのが、「横浜市会議員時代から菅を支援してきた」(菅の知人)とされる『ぐるなび』会長の滝久雄である。菅は国鉄民営化に奔走した小此木彦三郎の辣腕秘書として鳴らし、JRをはじめとした鉄道会社との関係が深い。かたや『ぐるなび』の滝はJRが国鉄だった時代から取引があり、東北新社とも昵懇だ。
与謝野馨に口添えを依頼
「滝さんは長いこと囲碁界を支えてくださっている方です。多方面にわたってお付き合いがあるので、活動は一部しかわかりませんけど、たとえば母校の東工大に囲碁授業の導入を働きかけてくださいました。授業導入は他大学にも広がり、私も講師をしています」
日本棋院の棋士がそう語る。東工大卒の滝は、実父の冨士太郎が国鉄駅の看板広告事業を始めた「交通文化事業社」(現NKB)を引き継ぎ、新たに通信事業に触手を伸ばす。国鉄民営化前夜の1985年2月、東京駅に新しく3代目「銀の鈴」が誕生すると、国鉄幹部に交渉し、その真下にブライダル情報検索端末「JOYタッチ」を設置した。いわば通信サービスの先駆けで、そこから1996年、インターネット飲食店検索サイト「ぐるなび」を興すのである。