続く2005年の山本は25才、柴咲組のヤクザとしてそれなりの地位にある存在だ。クールで冷静な男へと成長しているが、生来持っている不器用さが垣間見えることもある。それは特に、尾野真千子演じるヒロインに対して見て取れた。山本は男社会で生きてきたばかりに女性への接し方がヘタで、うまく気持ちを伝えられない。これを綾野は、相手を突き放すようなセリフ回しや、視線の揺れで示した。また、この頃の山本は“家族”のためなら何でもする、という考えの人間。ヤクザの世界ならではのさまざまな“恐ろしさ”を、綾野はセリフ以上に、他の登場人物とのやり取りの中で生まれる細かな表情の変化で表現しており、その “顔つき”は19才の山本とは全く違った。
そして2019年の39才の山本は、時代や社会の流れに淘汰されつつあるヤクザという存在を象徴するように、全体的に覇気が無く、衰えを滲ませていた。声には張りがなく、哀愁漂う“くたびれ感”がリアルだ。しかし時代が変わっても“家族のためにならなんでもする”という姿勢は変わらず、クライマックスでの綾野は山本が爆発する瞬間も表現している。それは若さゆえの無鉄砲さとは違い、家族への「愛」が根底にあるもの。この時代で年相応の山本を演じる綾野の姿は、この映画を背負う彼自身の姿とも重なる。主演俳優として背負う座組もまた“家族”なのだろう。
時代や社会の流れによって変化していくヤクザ。本作で描かれる彼らは義理人情を重んじる“家族”であるが、彼らの形は情勢によって変わらざるを得ない存在だ。綾野は、そうした時代や社会の変化を山本という人物に柔軟に反映させ、一人の男の生き様を通して、ヤクザの世界のさまざまな側面を巧みに体現していた。
公開初日の舞台挨拶で綾野は、「自分自身の集大成であることは間違いないし、本当に最愛の作品」と述べている。これまでに数多くの作品でさまざまなタイプのキャラクターを演じてきた綾野だが、筆者もその成果が本作で間違いなく結集していると感じた。彼が捧げる“家族”への愛を見逃さないで欲しい。
【折田侑駿】
文筆家。1990年生まれ。映画や演劇、俳優、文学、服飾、酒場など幅広くカバーし、映画の劇場パンフレットに多数寄稿のほか、映画トーク番組「活弁シネマ倶楽部」ではMCを務めている。