東京を象徴する街である銀座で、最も賑わう銀座四丁目交差点。この華やかなエリアで法衣と菅笠をまとい、10年以上も道ゆく人に祈りを捧げる托鉢僧がいた。
真言宗の僧侶・望月崇英さんだ。40代半ばにして高野山で修行を始め、仏教の道に入った望月さんは、2010年8月から銀座四丁目交差点にある和光本館の前に立って托鉢を始めた。だが現在、そこに望月さんの姿はない。今年1月18日、望月さんは、新型コロナウイルス感染のため66才でこの世を去った。都内で酒店を営む青木孝詞さんと、妻の千夏さんは涙を浮かべて振り返る。
「10年前から月に数回、銀座にランチで訪れる際は必ず読経をお願いしていました。真冬でも真夏でも寒さや暑さを感じさせずニコニコ笑うかたで、磁石のように人を惹きつける魅力があり、銀座に来る老若男女に慕われていました。今年初めに銀座を訪れたときに姿が見えず心配していましたが、まさかコロナで亡くなったとは思いませんでした」
この10年、望月さんが心血を注いだのが、東日本大震災の被災地訪問だった。震災から1か月も経たないうちに最初に訪れたのは、宮城県東松島市。混乱が収まらない遺体の土葬現場だった。現地で望月さんと合流した友人の白井糺さんが、当時の様子を語る。
「托鉢を始めて、半年後に起こった震災でした。お坊さんの姿もなく、仮埋葬されていくご遺体に、彼はお経をあげていました」
市の職員に「僧侶として、心を込めてお見送りしたい」と申し出て、約300体あった遺体の一人ひとりにお経を読み上げると、傍らで遺族が涙を流しながら手を合わせた。その後も被災地に足を運び、亡くなった命と、大切な人を失った人々のため、白菊を手向けた。
2012年3月には、宮城県仙台市の荒浜海岸を訪問した。押し寄せる波の前でひとりたたずみ、海の向こうに祈りを捧げる──のちに東京新聞に掲載された望月さんの写真は、大きな反響を呼ぶ。この写真を撮影した東京新聞写真記者の嶋邦夫さんが振り返る。
「震災から1年を象徴する写真を撮ろうと朝から現場に入ると、防潮堤を越えて一面が白い雪に覆われた海岸近くに、彼の姿がありました。あまり降らない雪が海岸に積もり、逆光で雪面と海面が照り返す中、ひとりの僧侶が一心に祈りを捧げている。思わず無心でシャッターを切りました」
撮影は終えたものの、望月さんの厳かな様子に、嶋さんはとても声をかけられなかった。だが後日、思いがけず望月さんの方から、東京新聞に連絡が来る。
「これ、ぼくなんです」
そう言って、望月さんが記事を新聞社から譲り受けたことを、前出の青木さんが教えてくれた。望月さんにとっても感慨深い一枚だったに違いない。