どちらが先に住んでいた、と言う議論にもなりかねないが、公園は当然、市民のもの。単純な多数決のような理屈で判断してよいことなのだろうかという疑問が残るが、行政の対応としてはこのやり方が一般的……というより、今の仕組では、これ以上の対応はなされないのだ。しかし、高齢者の方が知識も時間もあって、ずる賢いから若者が蔑ろにされている、と言い切れるわけでもない。
自治会関係者も、何も「自分たちの言うことだけを通したい」わけではないと話すが、まず、こうした問題が起きているところでは、自治会や老人会といった地区のコミュニティに若者がいない傾向強く、新しい街で比較的若い家族が多くても、地域の会合、イベントに出てくることはほとんどない。呼びかけも行ってはいるが、回覧板を拒否するような若い家庭もある中で、若い世代とそれ以上のコミュニケーションが全く取れず、住民の総意は若者抜きの状態で決まっていく。
人口の半分が高齢者になり、いま以上に多数派として幅を利かせるようになったら、自分たちが何を言っても無かったたことにされるのではないか。大袈裟ではなく、そう感じている若者が少なくない昨今ではあるが、そもそも若い世代が地域行政に参画しようという気持ちが希薄なことにも、一因はあるのかもしれない。選挙に行くのも高齢者ばかりと言われており、だからこそ高齢者に受ける政策を掲げた政治家ばかりが当選し、若者への処遇が雑になる。それこそ、自治会に参加したり選挙に行く高齢者からすると「来てもいないのに文句を言うな」と言いたくなるだろう。
「公園」をめぐる騒動も同様に、声をあげないと言われる人たちの要望が無視され、住みにくい環境があちこちで生まれている。この問題を「高齢者のせい」とするのか、自分たちの問題として捉え、若い世代自ら声を上げるような動きが出始めるのか。前述のように、数が多いほうが民意で正しい、という常識を変えてゆかねばならないときが来ているのだろう。