「させていただいてございます」
なぜそんなにも丁寧であろうとするのか?
──対人配慮に心を砕いて使われる「させていただく」ですが、その特徴として、主語が「私」であるという指摘がありました。「させてくださる」など、主語が「あなた(他者)」である敬語は使われなくなり、もっぱら主語は「私」になりつつある。そこに先生は、他者から離れようとするコミュニケーションのあり方を見ています。
椎名:「させてくださる」と「させていただく」は、同じ文脈で使える場合が多いのですが、異なるのは、「くださる」は「あなたがくださる」と使い、「いただく」は「私がいただく」と使う。つまり、主語が違うんです。
私が小さいころは「くださる」が丁寧だとされていましたが、今は、「(あなたが主語の)くださる」より、「(私が主語の)いただく」のほうが丁寧だと、人が感じるようになっています。「あなた」から距離をとるほうが、丁寧だと感じるようになってきたのでしょうかね。
とはいえ、先ほど述べたように、「させていただく」は本来、相手からの許可や恩恵を前提とする言葉ですから、「私」を主語にしながらも、「あなたに配慮しています」とか、「あなたを認知しています」、というメッセージも同時に送っているわけです。
──「させていただく」は、あなたに触れることなく(遠隔化)、あなたとのつながりを創出(近接化)する言葉であると本に書かれていて、面白いなと思いました。
椎名:そうやって遠近の距離感を調節しているという点で、絶妙な言葉だと思います。「させていただく」は、失礼のないように遠いところから、でも相手に手を伸ばしているようなイメージの言葉だといえますよね。
──「させていただく」の流行から、他者と直接つながったり、直接的な接触を回避する方向に向かっていることに懸念を示されています。
椎名:「させていただく」を使いすぎると、その人の「顔」が見えにくくなります。今、「させていただく」は「私は丁寧でちゃんとした人です」ということを示すマーカーのようになっていて、皆がマーカーを掲げて、安全な「させていただく」シェルターの中に入ってしまう。喋っている人の顔が見えなくなるくらい奥深く入り込んでいるように感じますね。