東日本大震災から10年。あの未曾有の災害に関連して多くのイベントが行われた3月も、今日で終わる。しかし10年が経過したからといって、2011年3月11日の出来事に片が付いたわけではない。これまでの活動を未来に向けてつなげていこうと、今もなお長期的なプロジェクトに取り組み続ける人たちがいる。
よく知られているように「3.11」には二つの側面がある。一つは東北地方太平洋沖地震による自然災害であり、もう一つは福島第一原子力発電所事故という人災だ。後者をきっかけにネガティブな意味で世界中に広まった「FUKUSHIMA」を、文化を発信することでポジティブに転換させようと活動してきた「プロジェクトFUKUSHIMA!」をご存知だろうか。
プロジェクトFUKUSHIMA!は、2011年3月11日の原発事故を受けて福島内外の人々によって発足。福島県出身の音楽家・遠藤ミチロウ(故人)、福島市で10代を過ごした音楽家・大友良英、そして福島市在住の詩人・和合亮一の3人を共同代表に、同年5月に記者会見を開いてプロジェクトの始動を宣言した。「未来は私たちの手で」をスローガンとして掲げ、長期的な視野に立って「FUKUSHIMA」をポジティブな言葉に変えていくことを目標に、フェスティバルの開催などを行っているプロジェクトである。
現在プロジェクトの代表を務める山岸清之進さんは福島市出身で、大学進学で上京後、2005年からは鎌倉に移住して暮らしていた。震災直後は新幹線が止まり高速道路も使えず、実家がある福島市内の状況が全くわからなかったという。しばらくして福島へと帰省する目処が立ったことをTwitterで報告。するとそれを見た大友良英氏から直接連絡があり、プロジェクトの発足へと繋がっていった。
「3月下旬頃、以前から面識があった大友良英さんにTwitter経由でDMをいただいて、お互いに実家が福島なので情報交換をし始めたんです。当時は被災地の状況が全くわからなかったので。
その2週間後ぐらいに大友さんとミチロウさんから『福島でフェスティバルを開催したい』という話を聞きました。ただ、まだ混乱の渦中にいてそんなことができる状況なのかわからなかったですし、僕が関わっていたFOR座RESTという福島市内の音楽イベントも中止の判断を下したばかりで、どうすればいいだろうかと悩みました」(山岸さん)
世間一般からすればフェスティバルの開催など到底実現不可能に映っただろう。プロジェクト内部でも慎重な議論が交わされた。だが放射線衛生学が専門の木村真三・獨協医科大学医学部准教授に協力を仰ぎ、実際に現地の放射線量を測定して被曝の危険性を調査。開催場所の芝生には放射性物質が残っているが、「対策をすれば開催できる」という専門家の意見のもと、芝生の上に大きなシートを広げるという案が浮上した。