練習でチームメートについていけない。白血病に襲われる前の自分の映像を見返せば、「この人、すごいな」とまるで他人事のような感覚を抱くようになっていた。「もう、自分はダメだ」。そう思う日々が続いた。それでも努力をやめなかったのは、ある心境の変化があったからだ。
「ひとり周囲から取り残されたことで、誰かのために泳ぐわけではなくて、自分が楽しいから泳ぐんだということに気づいたそうです。池江さんは常に周囲の期待に応える選手生活を送ってきました。プレッシャーから解放されたことで、持ち前の負けず嫌いも復活したそうです」(前出・スポーツジャーナリスト)
体重を戻すのにも苦労した。競泳はある程度の体重がないと、飛び込みで加速できず、スタートでほかの選手に遅れをとってしまう。池江選手は体重を増やそうと「食トレ」も行っていて、3食以外でも食事をとり、夕食後に無理してラーメンを食べたこともあったという。
目標は2024年のパリ五輪出場だった。しかし、新型コロナウイルスの影響で東京五輪が1年延期になったことで「奇跡」を引き寄せた。筋力や体力は徐々に回復し、昨年8月には東京都の大会で約1年7か月ぶりにレース復帰。10月には日本学生選手権に出場して50m自由形で4位に入賞した。今年に入ると2月の競泳ジャパン・オープンで同種目2位、同月の東京都オープンでは50mバタフライで優勝する。東京五輪出場の期待が高まるなかで迎えたのが、冒頭の日本選手権だった。
五輪内定を決めた池江選手は、インタビューで泣きながら家族への感謝を口にした。
「池江選手は決勝のレースで会場入りする際、『ただいま』と口にしました。日本一を決める舞台に帰ってくることができたという思いなのでしょう。母親の美由紀さんの“できるよ”という魔法の言葉が、彼女の強靭なメンタルを支えている。家族のサポートが彼女を絶望のふちからよみがえらせたのです」(前出・競泳関係者)
母と娘が起こした奇跡の物語は今夏、第2章を迎える。
※女性セブン2021年4月22日号