この犯人がB氏である。B氏はその後逮捕され、警察の捜査により事件の1か月前にも野崎氏を襲い、金庫のカギを奪って逃走していたことが明らかになり、懲役12年の判決が下った。地元紙には事件をめぐる報道で、B氏の肩書きは「元暴力団幹部」と紹介されている。
野崎氏は自伝『紀州のドン・ファン』で、この時のことを振り返っている。
〈後ずさりしながらだったためナイフは左足の付け根に刺さりましたが、もし動いていなければ、文字どおり「急所」を刺されていたというのです。(中略)
事件からひと月ほどして犯人は逮捕されました。30代の山口組系の暴力団員で、やはり私とは一面識もない男でした。この男は私の会社で働いていた従業員のヒモで、私が毎日バッグに多額の現ナマを入れて持ち運んでいるのを知って、襲ったというのです〉
いったいなぜ、暴力団と深い関係にあった者たちが自民党支部代表になれたのか。
県連としては認めていない
「A氏は政治活動をする傍ら、障害者の自立のためのNPO法人を設立していて、B氏はそのNPO法人の役員だった。政治団体にも参加してA氏の活動を手伝っていて、今回、A氏が逮捕されて支部代表を辞任したのに伴い、後任の代表になった」(和歌山の政界関係者)
B氏の犯罪は過去のことであり、暴力団員だったのも過去のことだ。だが現在、A氏が起こした事件の公判が進む渦中にあり、そこでも暴力団の関与が取り沙汰されている。B氏が代表に就くことに問題はないのか。
自民党和歌山県連の事務局長に聞いた。
「A氏の事件は本当に残念です。支部は和歌山県連の傘下組織のひとつという位置づけです。A氏は2年前に党員を集める活動がしたいと言い出して、自民党の人権問題と活動が一致するところもあるので、支部として活動することが認められた。逮捕後、A氏は党員資格が停止されています」
反省の様子がにじむが、B氏については反応が違った。支部代表になった事実を把握していなかったと言うのだ。
「勝手に選挙管理委員会に届け出をして、選管では認められたということかもしれませんが、県連としてはB氏が支部代表になることは承認していません」(同前)
しかし、B氏は関係者に向けて代表就任の挨拶状を送り、〈引き受けた限りは自らの能力を持って全力を尽くし本会の発展はもとより私達の世代で解決すべき人権問題への対応及び和歌山県の将来に向けた健全な発展のために尽力したいと考えています〉と決意を述べているのだ。