倉本聰さんが描いた40周年プロジェクトのポスター
始まりの地・富良野での再集合は田中さんの悲願でもあった。
「田中さんは、『続編があれば遺影になってでも出たい』と周囲に語るほど、『北の国から』というドラマを大切に思っていました。30周年のイベントは体調不良で参加できなかっただけに、“次は必ず”と願っていたはずです」(前出・テレビ局関係者)
※女性セブン2021年7月1・8日号
倉本聰さんが描いた40周年プロジェクトのポスター
始まりの地・富良野での再集合は田中さんの悲願でもあった。
「田中さんは、『続編があれば遺影になってでも出たい』と周囲に語るほど、『北の国から』というドラマを大切に思っていました。30周年のイベントは体調不良で参加できなかっただけに、“次は必ず”と願っていたはずです」(前出・テレビ局関係者)
※女性セブン2021年7月1・8日号