1983年12月に間垣部屋を興した二代目若乃花は、若闘将、若ノ城、五城楼、大和、若ノ鵬などの関取を育てたが、夫人に先立たれると2007年に脳出血で入院。一命は取り留めたが、車椅子での生活を余儀なくされた。追い打ちを掛けるように2008年に部屋に所属するロシア国籍の若ノ鵬が大麻所持で逮捕されると、協会の理事を辞任。弟子集めもままならず、部屋閉鎖の危機を迎えた。
「若ノ鵬の解雇で外国人枠が空いたことで、2010年に入門してきたのがモンゴル出身の照ノ富士だった(当時の四股名は若三勝)。しかし、窮状は打開できず、結局、2013年3月に部屋は閉鎖。所属力士らは伊勢ヶ濱部屋に移籍となり、間垣親方もその部屋付き親方となった。ただ、すでに年寄名跡の権利を売却していたために、相撲協会の公益財団法人移行に伴う年寄名跡証書の提出できず、定年まで5年を残して60歳で退職に追い込まれた」(協会関係者)
それ以降も、「間垣」を襲名した元力士の災難は続いた。19代「間垣」は日本へ帰化したモンゴル出身の元小結・時天空。現役中に悪性リンパ腫を患い、襲名からわずか半年後に37歳の若さで亡くなった。20代「間垣」を襲名したのは時津風部屋の元前頭・土佐豊だったが、前述の通り元前頭・時津海の不祥事による退職があり、名跡交換に至っている。
今年7月の名古屋場所千秋楽の結びの一番で、全勝同士でぶつかった白鵬と照ノ富士の一番は、白鵬がなりふり構わず強烈なカチ上げや張り手を繰り出した末に勝利。小手投げを決めた後に雄叫びをあげてガッツポーズした白鵬には、「横綱の品格を欠いている」といった批判が集まった。この後も東西の横綱として因縁の勝負が続くとみられる2人だが、その先では、照ノ富士の“元師匠”を含め、どこか因縁めいたところのある年寄株を白鵬が襲名することになるのか。