萩本:僕はそれを見て、気を遣って席を外してくれたんだと思ってた(笑)。
都倉:間に入ったスタッフが偉かったね。両方にいい顔をして上手く収めたんです。結果として「欽ちゃんコーナー」が評判となってクロベエ(黒部幸英)などの人気者が誕生したし、番組の視聴率もぐんぐん上がった。それは間違いなく欽ちゃんのおかげです。
萩本:番組を観る人が増えればスターもたくさん出るだろうという、僕なりの応援だったのね。でも数年後、審査員だった三木たかしさんから真相を聞いた時はびっくりした。三木さんは「欽ちゃんに酷いことをした。僕はもう一度、人間の修行をする」と言ってきたの。
──退席した審査員たちの真意をそこで初めて知ったわけですね。
萩本:阿久さんもカッコいい人でね。ある時「欽ちゃんは偉い。俺たちがあんなことをしても平気だった。負けたよ」って。その言葉を聞いて阿久さんに惚れました。
都倉:僕は両者の間で悩んでいたプロデューサーの池田文雄さんに相談されて、ゴルフコンペを始めた。ゴルフ未経験だった欽ちゃんと阿久さんを強引に誘って、コミュニケーションがとれる場を作ったんです。
萩本:その頃、「都倉先生にゴルフを教わるなんて緊張するな」と言ったら「先生って呼ばないで。“都倉っち”でいい」って言われてね。だから今でも“都倉っち”って呼んでるの(笑)。
都倉:僕は当時23歳の若造でしたから、欽ちゃんからいろんなことを教わりました。この人は遊びの天才だからね。最初のコンペでも練習なしで、いきなりパーをとったんです。あれには驚いたなぁ。
(後編に続く)
【プロフィール】
萩本欽一(はぎもと・きんいち)/1941年生まれ、東京都出身。1966年に結成したコント55号で一世を風靡。1980年代は“視聴率100%男”の異名をとる。現在はネットでも活動中。
都倉俊一(とくら・しゅんいち)/1948年生まれ、東京都出身。作曲家としてピンク・レディー、山口百恵、山本リンダらに数々のヒット曲を提供。今年4月、文化庁長官に就任。
構成/濱口英樹 撮影/黒石あみ
※週刊ポスト2021年10月29日号