コラム

ザ・インタビュー 人は複雑な信仰を持ちうる 川村元気さん著『神曲』

映画の企画・プロデューサーとして「君の名は。」などの製作に携わってきたヒットメーカー。海外でも翻訳出版されたベストセラー小説『世界から猫が消えたなら』をはじめ、作家としても読者の支持を得ている。自身5作目となる小説で選んだテーマは「信仰」だ。「死、お金、恋愛、記憶…と人間個人の力ではどうにもならないないものをずっと小説で書いてきた。今回もそうですね」と話す。

「コロナ禍を経て、パワースポットに行ったり占いにはまったりする人が増えている印象がある。目に見えないものに依存し、信じ切ってしまうことの危うさはある。とはいえ理知的で何も信じようとせず、いろんなものを疑って生きている人たちもあまり幸せそうには見えない。それは何でだろう?って」

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東京の古い一軒家で小鳥店を営んでいる檀野家。お見合い結婚した三知男(みちお)と響子夫婦が築いた平穏な日常生活は、ある日突然断ち切られる。小学生の息子・奏汰(かなた)が学校の前で40代の男に刺殺されたのだ。4人もの小学生が命を落とす凄惨(せいさん)な通り魔事件だった。

以来、響子は心身のバランスを崩し、娘の花音(かのん)も学校に行かなくなる。悲しみに沈む響子は花音を連れて「永遠(とわ)の声」なる合唱隊のような団体に参加する。永遠様に向けて歌い、神の試練を乗り越えたら永遠の国で奏汰に会える-。そう信じて団体に財産を寄付する響子は、不思議な歌を歌っては心の平安を取り戻そうとする。一方、家族が宗教に奪われた、と思う三知男は妻の洗脳を解こうと奔走することに…。

「国や会社、学校もそうだし、自分の夫や妻、子供に対しても『信じる』『信じられない』ということがあるわけですよね。狭いようにみえて、とても広いテーマ。それが書く上での勇気になった」と振り返る。

信仰への熱がそれぞれに異なる家族3人の視点で描かれる物語で、高校生の花音のパートが胸に迫る。母親と一緒に歌を歌うのは好きだけれど〈永遠の声〉の伝道活動は苦手。信心と不信のはざまで迷い、揺れ続く花音は団体での活動中、自転車で全国各地を回っている青年と出会う。〈自分の神様以外を否定するのは間違っている〉〈君がおかあさんを信じる気持ちと、おかあさんが信じている神様を信じられない気持ちは両立する〉-。一つの信仰に固執せず、いろんな神仏が語る真理を手帖(てちょう)に書きとめている彼のそんな言葉に触れ、少しずつ変わっていく花音の内面が丁寧にすくい上げられている。

「ネット上の論争を見ていると、こちらが完全な正義で、あちらが完全な悪-みたいな図式の持つ息苦しさを感じる。『人は複雑な信仰を持ちうる』というのを僕は前向きにとらえているんです。目に見えないものも自分で調べて知ることで怖くなくなる。書きながら、信じるという気持ちのきれいごとじゃない力強さを感じましたね」

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執筆にあたり、宗教家やカルトの元信者ら100人を超す人々に取材して準備を進めた。それでも週刊誌での連載は、結末が決まらないままスタートすることに。綱渡りの連載は、映画製作とは違う小説の魅力を実感する機会でもあった。

「映画ってやっぱり結論があるんです。設計された建物を職人が集まって作る総合芸術の良さがある。でも小説は結論ありきでは読者に見透かされる。自分でもびっくりするような場所に行けるのがいい」

厚い雲に覆われた空が写る表紙カバー。太陽ははっきり見えないけれど、光は確かに感じ取れる。「希望が見えたらまた絶望…というコロナ禍の中で自分自身も揺さぶられながら書いた小説。最後は何とか表紙のような印象で終われたかなあ、と」

3つのQ

Q最近読んで印象に残った本は?

向田邦子さん(1929~81年)の短編をよく読み返します。文体が非常に映像的。僕も同じスタイルなので、シンパシーを感じる

Q一番ほっとできる瞬間は?

寝ているときや食べているとき。あまり物事を考えないでいいから。考えることが仕事なので、矛盾しているのですが…

Q新型コロナ禍の中、新たに興味を持ち始めたことは?

陶芸や釣り、動物と触れあうことに興味が向いています。原始的なものにひかれている気がする

 昭和54年、横浜市生まれ。「告白」「悪人」「君の名は。」などの映画製作に携わる。平成23年、優れた映画製作者に贈られる藤本賞を史上最年少で受賞。24年に初の小説『世界から猫が消えたなら』を発表。ほかの小説に『億男』『百花』などがある。

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