その頃のことを2021年1月、テレビ番組で振り返った萌音は、「クラスの女の子から反感を買ってしまって、のけものにされちゃって。学校に行くんですけど教室に入れなくて保健室登校。それで、どんどん人が怖くなってしまった」と明かしている。
そんな萌音でも、生き生きと目を輝かせる瞬間があった。
「普段は声が小さいのに、歌うときだけは透き通るような伸びやかな声が出るんです。それも、心の底から楽しそうに。それを見たお母さんは、萌音さんを宝塚歌劇団のOGが立ち上げたミュージカルスクールに通わせ始めました」(前出・近隣住民)
歌との出会いは萌音を大きく変えた。
その頃、さらに大きな転機が訪れる。萌音が小学3年生のとき、父がメキシコにある日本人学校に転勤になり、一家で移り住むことになった。
「メキシコで暮らしている間、スペイン語を習った人に“悩んでいる時間があるなら、楽しんだ方がいい!”と教えられたことに、大きく価値観を揺さぶられたそうです。
6年生のときに帰国しましたが、まるで別人。以前と同じ小学校に戻ったのですが、衝突していた女子を意に介さず、授業中は挙手をしてハキハキと発言、将来の夢は“劇団四季に入って、ミュージカル女優になる”と語っていました。“これが、あの萌音ちゃんなの?”って、周囲はただただ驚いていましたね」(前出・同級生)
両親を自分の夢に巻き込んだ
中学生になった萌音は、芸能界への憧れを膨らませていく。だが、歌や演技の世界に導いた両親でも、萌音の夢を素直に応援できなかった。
「実力はもちろん、運や巡り合わせにも左右され、流行り廃りが激しい芸能界に娘が挑戦することに、ご両親は前向きになれなかったそうです」(一家を知る人物)
ミュージカルスクールの先生のすすめもあり、『東宝シンデレラオーディション』を受けることになったが、両親は「オーディションであっさり落とされたら、諦めがつくだろう」という気持ちだったようだ。
ところが結果はというと、萌音は審査員特別賞に輝き、一緒にオーディションを受けた萌歌が史上最年少でグランプリを獲得した。
母は、芸能活動を始めるにあたって条件を出したという。
「芸能活動と勉強を両立することを厳命したんです。もし学校生活や勉強がおざなりになったら、すぐに芸能活動は辞めさせられる、という危機感をもって芸能活動に取り組んでいました。せっかく叶えた夢を途切れさせるわけにはいかないので、どんなに忙しくても絶対に学校は休まなかったそうです。部活動にも入らず、毎日真っ直ぐ帰宅しては、家ではせりふ覚え。帰り道にどこかに立ち寄るのは校則で禁止されてたんですが、一本気な性格もあって、“校則を破るのは不良だ”と言っていたこともあります」(中学校時代の同級生)