しかし、沙也加さんが10歳の頃に両親が離婚。1998年に聖子が6歳年下の歯科医師と2度目の結婚(2000年12月に離婚)をすると、沙也加さんは米・ロサンゼルスの日本人学校に編入することになった。有名人の子どもということで、中学時代は壮絶ないじめも経験した。やがて17歳に成長した沙也加さんは、芸能界に興味を持った。芸能記者が語る。
「1999年12月、沙也加さんは『ALICE』のペンネームで母・松田聖子の曲『恋はいつでも95点』に歌詞を提供しています。そして2002年5月、『ever since』で歌手デビューし、翌2003年には映画『ドラゴンヘッド』のヒロイン役で女優デビュー。実に華々しい芸能界入りでした。
2001~2005年ごろは音楽番組などで母娘共演することも多かったのですが、もともと聖子さんは娘の芸能活動には反対でした。それでもデビューするとなったら、母親として応援する気持ちに変わったようです」
しかし、鳴り物入りで芸能界デビューした沙也加さんは、「親の七光り」と大バッシングを受けることになる。苦悩しながら、なんとか自分だけの道を見つけようとする沙也加さんの姿は、母親である聖子の目にも眩しく映った。
〈彼女の中には『母とは違う』という意識があるんだと思います。母はああやって、あんなふうに仕事をしてきたけれど、「私は私、私はこうなるんだ」という自分らしさのイメージがはっきりあるはず。それは、見ていてよくわかります。私にすれば、『すごいな、この人』と感心する部分をいっぱい持ってますもの(笑)〉(『LEE』2003年8月)
聖子は1990年に全米デビューし、母娘の時間がとれないことも多かった。同じ芸能界で沙也加さんの成長ぶりを間近で見て、自分の育児に一区切りがついたことをしみじみ実感したのかもしれない。
〈子育てって、その人たちに合ったやり方があるから、どれが正しくてどれが間違ってるなんて、言えませんよね。たまたまうちはこうした形できて、ホントにいい子に育ってくれて、とてもいい関係です〉(同前)
悩み抜いた結果、沙也加さんは自分を見つめ直す時間が必要だと結論づけたようだ。2005年には所属事務所が〈高校卒業をひと区切りとし、この機会にゆっくりと時間をとっていろいろなことを勉強し、将来のことを考えたい〉と発表し、芸能活動を休止した。