それまでこのクリニックでは誰一人として水島新司本人とは知らず、待合室ではおしゃれな服を着たおじいちゃんが観察するように人々を優しく眺めていた印象だったという。漫画のためいつ何時でも人間観察を絶やさず、漫画のモチーフをきっと探していたのであろう。

 作品の中で必ず野球をやりたくてもやれないキャラを登場させていたのは、水島自身のことだったとも考えられる。野球漫画というより野球を通じての人情漫画でもあり、人として“豊か”になるとはどういうことか、勝負に勝つ意味とはどういうことか、生きていく上で一番大切なことがいつも描かれていた。山田、岩鬼、里中、殿馬、岩田、水原、藤村、中西、真田、景浦……。すべてのキャラクターが人生を教えてくれた。こんなに野球音を共鳴し包まれながら読める野球漫画は、水島漫画しかありえない。

◆文・松永多佳倫(まつなが・たかりん)/ノンフィクションライター。1968年、岐阜県生まれ。琉球大学卒業後、出版社勤務を経て執筆活動開始。著書に『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』(KADOKAWA刊)など。

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