1980年代、日本映画界に彗星のごとく現れた薬師丸ひろ子(57才)、原田知世(54才)、渡辺典子(56才)。いまも第一線で活躍し続ける彼女たちの原点は、10代でヒロインを務めた『角川映画』にある。“角川三人娘“と呼ばれた彼女たちの才能を見出した編集者・映画監督・映画プロデューサーの角川春樹さんと映画宣伝プロデューサーの遠藤茂行さんが当時を振り返る──。【全4回の第1回】
芸能界に憧れのある人は選ばなかった
角川:薬師丸、知世、典子の3人は、オーディションで選びました。私は“アイドル”を発掘した覚えはなく、作品にふさわしい女優を選んだのですが、それがアイドルのように扱われたわけです。
遠藤:薬師丸さんは高倉健さん(享年83)主演の『野性の証明』(1978年)でデビューしていますが、角川さんは彼女の目に可能性を感じたとよく話されています。
角川:何と言っても“目力”です。彼女はそもそも芸能界に憧れがあって入ってきたわけではなく、他薦に近い。ある小さな芸能事務所が街でスカウトした女の子たちのスナップ写真を送ってきて、その中に薬師丸もいて、その目力に惹きつけられました。それで、『野性の証明』のオーディション前に彼女をスタジオに呼んで、アクションスターやスタントマンが所属している『ジャパン・アクション・クラブ(略称JAC)』の俳優に彼女を背負わせて映画のラストシーンを演じさせたんです。
そのとき、“彼女ならイケる”と思い、オーディションで彼女以上の逸材が現れなかったら、この子にしようと決めていました。
演技はレッスンすればうまくなりますが、『目は心の窓』といわれるように、目力だけは生まれながらに備わったものですから。
あのとき、彼女はオーディションの審査員だったつかこうへいさん(享年62)から、「ピンク・レディーを歌ってよ」とリクエストされて「嫌です」とサラリと断ったんです。その意志の強さにも惹かれましたね。
遠藤:後に薬師丸さんから聞いた話ですが、当時はカメラを向けられると吸い込まれそうで、家族写真を撮るときも不機嫌な顔になっていたそうです。デビューしてからも笑った写真がほぼありません。笑顔のアイドル全盛期の中で異彩を放った存在でした。
角川:知世と典子は真田広之(61才)主演の『伊賀忍法帖』(1982年)で、広之の相手役オーディションで選びました。当時、知世は14才、典子は16才。知世は広之のファンで、彼に会いたい一心でオーディションを受けたんです。ただ、この映画はベッドシーンのようなものがあり、14才の知世にはふさわしくないということで、彼女にはグランプリではなく、特別賞を与えたのです。
このオーディションでヒロインに選ばれたのが典子です。彼女は郷里の大分県から「芸能界に入りたい」とこのオーディションを受けて入りました。『伊賀忍法帖』のとき、私は映画『汚れた英雄』(1982年)の監督で、自分の映画で精一杯だったから、典子の現場にはほとんど行くことができず、彼女の成長を見ることができなかったのは、かわいそうなことをしたと思っています。代わりに遠藤さんに典子の現場に行ってもらっていました。