佐々木は前日の準決勝一関工戦で129球を投げていた。さらに4日前の盛岡四戦では延長12回までに194球を投じていた。骨端線(成長期の骨に特有の軟骨組織。骨が伸びたり太くなったりするうえで重要となる)が伸びきっておらず成長段階にあった佐々木の投球過多による故障のリスクを國保は避けたのである。
だが、佐々木の代わりに登板したのは実力的には4番手に位置づけられる投手だった。9点を奪われるまでその投手を続投させ、2年生左腕を投入した時には大勢が決していた。エースのみならず、2番手、3番手の右投手すら起用せずして、菊池雄星や大谷翔平を輩出した強豪私立にどうやって勝とうというのだ。
佐々木の登板回避は致し方ない苦渋の決断だったろう。しかし、佐々木のみならず他のナインにいっさい説明することなくオーダーを組み、かつ勝負を端から諦めたかのような采配を他のナインは納得していたのか。その疑問は拭えなかった。すべての球児が抱く甲子園の夢と佐々木の将来を天秤にかけ、後者を選んだように映った。
朗希も投げたかったと思う
佐々木の女房役を務めていた捕手の及川恵介(東北学院大3年)はあの日をこう振り返る。
「決勝でも僕らは朗希に投げてほしかったし、朗希もきっと投げたかったと思う。投げていたら勝算も高かったとは思います。今は冷静になって考えられますけど、決勝の日に國保先生から(先発しないことを)聞いた時はやっぱり驚きました」
2019年秋に私は岩手大会決勝における不可解な采配に疑問を投げかけると共に、甲子園が懸かった大一番に大エースを起用しなかった國保の決断によって、高校野球が「エースと心中」を是としない新時代に突入したことを拙著『投げない怪物』にまとめた。あの騒動以降、春夏の甲子園では球数制限が導入されたこともあって、エース一人に依存せず、複数の投手を起用する戦い方が主流となった。
2011年の東日本大震災後、母校である大船渡でコーチを務めてきた前出の新沼は、決勝の日の混乱をこう振り返った。
「岩手県営野球場に到着して、すぐにある選手が私のもとにやってきた。『丞さん、今日の先発が誰だかご存じですか』と。選手たちには試合前から動揺が広がっていた」