「マスクをしないと不安な子供もいる。マスクのほうが子供の日常で、こちらが外せとは言えない。なぜならマスクを外さない子供は親もマスクに厳しい。ならそちらに合わせて全員マスクをしておこう、という判断だ」
確かに、国はマスクを義務化していないが、マスクを禁止してもいない。当たり前の話で、自由主義国家としてマスクをつける、つけないの判断は国民に委ねられている。内閣官房もまた「マスク着用、手洗い、「密」の回避など、基本的な感染対策の徹底をお願いします」とあくまで「お願い」である。首相官邸もホームページで「正しく使おうマスク!」として「ポイント・会話時は必ず着用」としている。
日本国は屋外のスポーツや体育授業でマスクしろ、などと言っていない。むしろ熱中症や呼吸困難の心配があるので(あたりまえだ)マスクはしなくてよいと言っている。それでもマスクを不必要な場面にまで強要する「見えない力」が働いている。
マスクしていないと匿名で通報される
足を進めて陸橋のそばに小さな児童遊園、その陸橋の下を沿って行くと工事車両の置き場になっているらしく、四方向数十メートル間隔それぞれに警備員がパイプ椅子で座っていた。そのうちの一人が自分の持ち込みの軽ワゴンだろうか、その車中で弁当を食べだしたのを見計らって話しかけてみる。誰も通らないのに、ずっとマスク姿だった。
「決まりだから仕方ないです。(警備)会社にもよるけど、うちはどこでもマスク着用です」
見渡せばここには彼と私だけ、遠く逆方向の見張りをしている体でパイプ椅子に座る同社の警備員だけが見える他は人間がいない。あとは清掃工場だと教えられた巨大な施設と橋梁、かすかに児童遊園の楽しげな声。
「マスクしてないところを見られると(会社に)匿名で通報が来るんですよ。もう(コロナ禍)2年、仲間もやられてます」
自粛警察、いまではマスク警察と呼ばれる人だろう。この自粛警察、勘違いしないでほしいのはネットスラングでもマスコミ用語でもなんでもない、れっきとした法務省も使っている用語である。法務省は「自粛警察と誤った正義感」として、「マスクをつけていない人を激しく罵倒する」人を「『自粛警察』と呼ばれる過激な言動」「『感染症対策をしない人』などと一律に他人にレッテル貼りをしてしまうことは,合理的ではないのではないでしょうか」とホームページで提言している。