しかし、実は結婚直後からふたりの間には微妙な空気が漂いはじめていたようだ。
「結婚後まもなくすると、翔太さんが、“俺様気質”を隠さなくなったというんです。梢さんが驚いたと言っていたのは、翔太さんから『敬語を使ってほしい』と言われたこと。“夫を立てて”という意味だったのかもしれませんが、梢さんは困惑していましたね」(梢の知人)
翔太のそうした姿勢は、父親を意識してのことなのかもしれない。翔太の母・松田美由紀(60才)は2019年に出演したバラエティー番組で亡き夫との関係についてこう語っていた。
《「(優作さんは)めちゃめちゃ亭主関白で、何もしてくれなかった(中略)帰ってきたら三つ指ついて「おかえり」とかってやってましたし、何気にいい奥さんだったと思います》
優作さんが亡くなったとき翔太はまだ4才だったが、幼い頃から父親は常に強く意識する存在だったという。
「子供の頃から、自分の周囲が“松田優作の息子”にどのような振る舞いを求めているのかということに敏感だったといいます。小学生の頃からブランド物を愛用し、プライベートでも役者としても常に父親と向き合い、周囲から聞かされる優作さんの話に大きな影響を受けていました」(松田家の知人)
一方の梢も、力士として初めて国民栄誉賞を受賞した父を誇りに思い、大横綱の娘として振る舞ってきた。モデルとしては“格上”の梢が、翔太に意見することもあったという。
「梢さんはブランドやスタイリングに強いこだわりがあるかたです。かつて、翔太さんのモデルの仕事にも細かいアドバイスをしたことがあり、翔太さんが不機嫌になってしまったといいます」(ファッション誌関係者)
「これからも松田家をよろしく」
松田家の強い結束力が、妻にとっては大きなプレッシャーになることもあったという。優作さんという大黒柱を失った後、一家を支えてきたのは美由紀だった。3人の子供を女手ひとつで育て、現在は彼らの所属事務所の社長でもある“ゴッドマザー”は、ファミリーにとっては絶対的な存在だった。4月の龍平と茉愛羅の結婚式も、招待客や席次は新郎側の意向で大半が決められたという。
「完全非公開としたのも松田家の意向で、マスコミもシャットアウトしていました。2度目の結婚である龍平さんはまだしも、初婚の茉愛羅さんは戸惑う部分があったのでは……」(龍平の知人)
その絆は、きょうだいの間でもゆるがない。
「かつて、龍平さんの誕生日パーティーで翔太さんが“これからも松田家をよろしく”とスピーチをしたことがありました。兄ではなく“松田家を”というところが、実家を大事にする翔太さんらしい言い方でした」(前出・龍平の知人)