ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。近現代編第九話「大日本帝国の確立III」、「国際連盟への道 その11」をお届けする(第1344回)。
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徳冨健次郎、いや、この場合は小説家徳冨蘆花の「手本」となったと考えられるフランスの小説家エミール・ゾラの「ドレフュス事件」への対応とは、どのようなものだったのか? それ以前に、そもそも「ドレフュス事件」とはいったいどんな事件か? 概略を紹介すれば次のようなものである。
〈1894年、フランスに起こったスパイ事件。ユダヤ系のドレフュス(A.Dreyfus)大尉は、ドイツのスパイとして終身刑に処せられたが、1896年に真犯人が現れ、軍部がこれを隠匿。これに対し、小説家ゾラや知識人・進歩的共和派が弾劾運動を展開、政治的大事件となり、1899年、ドレフュスは釈放され、1906年に無罪が確定。〉
(『デジタル大辞泉』小学館刊)
一八九四年は明治二十七年。日清戦争が勃発した年であり、蘆花は明治元年の生まれだから二十七歳。結婚し、短編小説を『國民新聞』に発表して作家生活のスタートを切った年だ。その年に起こったこの事件は日本であまり有名では無いのだが、世界史の流れを変えたきわめて重大な事件である。
ことの始まりは、フランス革命にある。フランス革命によってなにが変わったか? それまで差別されていたユダヤ人が、国家公務員になれるようになった。「革命の精神は自由・平等・友愛」だからだ。
思い出して欲しい。徳川家康と同じ年に死んだイギリスの劇作家ウィリアム・シェイクスピア作の戯曲『ベニスの商人』には、シャイロックというユダヤ人の強欲非道な金貸しが登場する。この戯曲もユダヤ人への差別を助長していたのだが、なぜそうなるかと言えば、これもすでに述べたと思うが、キリスト教社会ではユダヤ人を「イエス様殺しの重罪人」と考えていたからである。
念のため繰り返すと、イエスの処刑を求めるユダヤの群衆に対し、ローマ帝国から派遣されてきた総督ピラトは何度も殺してよいのかと念を押すのだが、ユダヤの民衆は激高して「その血(の責任)は、我々と我々の子(子孫)らの上にかかってもいい」と叫んだので、ピラトはやむを得ずイエスを死刑執行人に引き渡した。そのように『新約聖書』に明記してある(「マタイによる福音書」)。
いくらなんでも、自分たちはともかくなんの関係も無い「子孫」まで責任を持つなどと言うはずが無い。他の民族と同じで、ユダヤ人も人の子の親である。しかし、聖書に記載されていることは「すべて真実」というのがキリスト教徒の信仰だから、ローマ帝国に母国(古代イスラエル王国)を滅ぼされヨーロッパ各地に散って在仏ユダヤ人、在独ユダヤ人、在英ユダヤ人などという形で生き続けたユダヤ人ユダヤ教徒は、激しい差別を受けた。
彼らは「イエス様殺し」であるから、市民権が無く土地の正式な所有者にもなれないので、選べる職業は限られた。いまでも芸能界や法曹界など大きな意味での「第三次産業」がユダヤ人の得意分野であるのも、こうした事情があったからだ。とくに金融業に関してキリスト教は(じつはユダヤ教もイスラム教も)、人にお金を貸して利息を取る行為を「悪」だと規定していたので、まともなキリスト教徒は金融業をしなかった。
だから逆に金融業者はユダヤ人しかいない状況になり(ユダヤ人同士でも金融業は「悪」なのだが、キリスト教徒に貸すなら問題無い。彼らは「兄弟」では無いからだ)、残念なことだが差別されている人間は差別している人間に対して冷酷非情になる。これに対して、差別する側からは「イエス様殺しの悪人ども」との偏見が重なるものだから、戯曲『オセロ』を書いて有色人種に対する差別を厳しく糾弾したシェイクスピアですら、ユダヤ人シャイロックを極悪人として描いたのである。