そんな安倍氏がとりわけ注力したのは、日露外交だった。父・晋太郎氏は晩年、がんを患いながら病身をおして北方領土問題の解決に尽力した。
〈日本とロシア(当時はソ連)が真の友好国家たりえるためには領土問題の解決が不可欠であり、同時に日本にとっても、目標をしっかりと掲げて領土問題を解決していくことが、国としての「自立」につながっていくと父は考えていたんだろうと思います〉(『SAPIO』2007年6月27日号掲載)
北方領土返還を目指して首相就任後も首脳外交を重ねたが実現には至らず、退陣後にはロシアによるウクライナ侵攻で北方領土問題を含む日露の平和条約交渉は中断する事態となった。
親子2代にわたる悲願の実現が先行き不透明になった状況で、安倍氏は命を落とした。ただ、各国の国家元首、首脳から弔意が相次いで寄せられるなかで、ロシアのプーチン大統領からは、昭恵夫人と母・洋子さんに宛てて、「(安倍氏は)日露の良好な関係発展に大きく寄与した、傑出した政治家であり、取り返しのつかない損失」と異例の声明が発表された。
※週刊ポスト2022年7月29日号