生き延びた被害者の多くは「思い出したくない」と口を揃えたという。一方、村山氏が現地で証言を聞くことができた被害者のなかには、韓国社会にアクションを起こした人物が先述のタンさん以外にもいた。
「1966年2月から3月にかけて、ベトナム中部のビンディン省タイヴィン社(ベトナム戦争当時はビンアン社)で1200人以上の住民が韓国軍部隊に殺害される事件が起きました。2014年2月、私は今も現地に暮らす事件の生存者グエン・タン・ランさんに話を聞くことができました。
事件当時15歳のランさんは、母親と妹を含む村人数十人が犠牲になった韓国軍の虐殺行為を生き延びた人です。ランさんも負傷しており、両足には手榴弾の破片がまだ残っていました。ランさんは『私の目に焼きついたあの惨劇は、忘れようにも忘れられない』と涙ながらに語っていました」(村山氏)
韓国で浴びせられた暴言
村山氏が証言を聞いた翌年(2015年)、ランさんはベトナム人被害者らを支援する韓国NGOの招きにより、タンさんらと韓国を訪問。事件について韓国国民に向けて証言することになった。しかし、韓国でランさん、タンさんらを待っていたのは、“否定派”による手荒い仕打ちだった。
「3人の訪韓を報じたいくつかのインターネット新聞によると、訪れた先々で元兵士らが反対集会を開いたそうです。平和博物館で予定されていた、事件を伝える写真展のオープニング・レセプションは、退役軍人300人以上が会場を取り囲み集会を開いたことで中止に追い込まれました。
私は、韓国訪問を終え、ベトナムに帰国したランさんを訪ねて話を聞きました。ランさんは訪韓したことを後悔している様子でした。韓国に滞在中、ランさんらが訪れたほぼすべての場所で、集まった軍服姿の元軍人から『嘘つき』『ベトコン(戦争当時、米韓軍と敵対したゲリラ勢力)』などと罵詈雑言を浴びせられたというのです。
ランさんはその後、訪韓時の受け入れ先となったNGOの代表に『韓国政府を動かすためには、ランさんがベトナム政府に働きかけたほうがいい』と助言されたそうです。しかし、韓国との経済関係を重視するベトナム政府は、この問題で韓国政府を追及する姿勢を見せることはありません。韓国政府も、過去の大統領による形式的な『遺憾表明』以上の取り組みをしていません。
事件の被害者らは、真相が解明されることのないまま、置き去りにされているのが現状なのです」(同前)
現在韓国を率いるのは、わずか3か月で支持率が30%台に急落した尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領。国内外に課題が山積するなか、ベトナムとの関係にどう向き合うかが注目されている。