「この群衆のなかにだって、中国大使館のスパイが絶対に混じっているはずだ。絶対にね。白い紙を掲げて参加者のフリをしながら、こっそり録画して一人ひとり特定し、処罰されることになるだろう」
日本にいるのだから大丈夫じゃないかと問うと、あきれて諭すように言った。
「そんな訳ないさ。個人が特定できたら、中国に住む家族や親戚に連絡が行き、圧力をかけられるんだよ。故郷にいる家族は職を失ったり、学校を退学させられたりするだろうね。定年していたら、年金がもらえなくなる。そんなリスクを背負ってまでデモに参加するなんて、俺にはとてもできないよ。代償が大きすぎる」
ただ、中国共産党への不信感は長年うっすらと持ち続けている。
「何かが100%正しいなんて、あるわけない。でも、そんな話ができるのは、本当に親しい友人か家族だけ。それも酒の席でね。『酔っ払ってめちゃくちゃなことをしゃべった』と言い訳できるようにするためだ」
抗議デモに共感は示しつつ、今後の見通しについては悲観的だった。
「今は江沢民の葬儀で忙しいだろうから、それがひと段落したら、参加者を過去にさかのぼって一気に検挙するだろう。それで終わりだ。この運動は、もう2週間以内に確実に終わる。賭けてもいい」
そう言い残して、彼は繁華街の雑踏へと消えていった。ゼロコロナへの抗議を機に中国大陸で「自由と民主」が叫ばれたのは、ほんの一瞬の出来事だったのかもしれない。
■取材・文/西谷格
【プロフィール】
西谷格(にしたに・ただす)/ライター。1981年、神奈川県生まれ。地方紙『新潟日報』記者を経て、フリーランスとして活動。2009年に上海に移住、2015年まで現地から中国の現状をレポート。著書に『香港少年燃ゆ』『ルポ 中国「潜入バイト」日記』など。