窃盗組織「爆窃団」摘発の難しさ
爆窃団は、百貨店や宝石店などが閉店した後、ビルとビルとの間に油圧ジャッキを設置して、その圧力で外壁に穴を開け店内に侵入し、貴金属などを根こそぎに盗んでいくという荒っぽい方法をとった強盗団だ。日本では1980年代以降に被害に遭うようになった。その手口から、警視庁の中国語の通訳が爆窃団と名付けている。香港などを拠点に活動する中国系外国人によるグループが中心とされているが、韓国系や台湾系も存在する。
警察の摘発強化により、一時は大掛かりな窃盗事件は減少。爆窃団も日本から姿を消したかにみえた。しかし事件に対する世間の注目やほとぼりが冷め、警察の摘発強化が緩んだ頃を見計らったように、爆窃団のメンバーは、再び東京の有楽町や銀座周辺の宝飾店を狙って来日し始めた。大胆な手口に加え、高級品店が並ぶ銀座などで犯行が行われたことで、当時はマスコミでも大きな話題となった。
そんな時期、銀座通りの某ビルにテナントとして入っていた知人の宝飾店が襲われた。早朝、連絡を受け現場で見たのは、隣のビルと隣接した壁面に開けられた大きな穴だ。店に並べられていたショーケースは全て壊され、宝石類は丸ごと盗まれていた。被害総額は数億円に上った。
手口は爆窃団そのものだった。ビルとビルとの間にある人1人がやっと通れるほどの狭い空間に入り込み、油圧ジャッキを使ってコンクリートの厚い壁を破壊していた。穴を開けられたビルは銀座の中央通りに面する大きな商業ビルだ。夜中とはいえ人通りが途切れることはない。それでも、誰にも気づかれずに穴を開けた。
捜査に携わっていた捜査員は「仮にビルとビルの間から大きな物音がしたとしても、通りすがりの人たちには、隣接するビル同士の隙間が狭くて暗いため、奥まで見通すことができなかった。たとえ誰かが物音に気がついたとしても、夜間にビルのメンテナンス工事をしている作業員がいるぐらいにしか思わなかっただろう」と話していた。
ビルには防犯設備が設置されていたが、正面玄関や窓が重点となっていた。横壁に穴を開けられることなど、想定していなかったのだろう。警報装置は鳴らなかったようだ。盗まれた商品の確認をしていた捜査員は、悔しそうにこう語っていた。「やられていたのは高級時計店や宝飾品関係の店だけだ。前々から狙っていたのだろう」。
元刑事も「窃盗や強盗を繰り返すグループは、自国を拠点に日本には出稼ぎ的に盗みにきては、犯行後すぐに帰国するのが常套手段だった。人々が忘れた頃にやってきて、盗めるだけ盗み、盗品は郵便荷物にして全部送り、さっさと日本を後にする。そしてまた数年後に戻ってくる。だがせっかく被疑者の目星をつけても、次には違うメンバーで入ってくることが多い。そのため現場付近の防犯カメラの映像と何度も出入国を繰り返している人物から、犯人を割り出していく」
この事件は、その後、犯人が全員捕まった。別件で逮捕された韓国人窃盗団が売りさばいた品物や隠し持っていた貴金属の中から、銀座のビルで盗まれた品物も出てきたのだ。それらが動かぬ証拠となり、この窃盗団が爆窃団グループの一員だと判明したのだ。彼らは他にも、都内で数件の犯行を繰り返していた。
犯罪者が日本人であれ外国人であれ、もしも組織的な犯罪であれば、犯人全員を逮捕するには地道な捜査が必要となる。立て続けに起こっている3人組の強盗傷害事件が同一犯によるものか、組織的な犯行なのかは、捜査を待たなければわからないが、これ以上被害が出ないよう1日も早く犯人らが逮捕されることを願っている。