今年もまもなく国立大学の合格発表が行われる(時事通信フォト、写真は2019年東京大学)
犯罪者を犯罪者たらしめる環境がある
──あかりさんは、家出をしたり、他県の大学の医学部を受けようとしたりと、母親から逃れようと試みます。しかし、自身が未成年であることや、母親が半狂乱になったりしたことで、家に戻らざるを得なかった。別居している父親や、あかりさんが信頼している国語の先生などに、もっと助けを求めてほしい……と、読みながら感じましたが、それが難しいこともよくわかりました。
齊藤:お父さんについていえば、物心ついたときから家にほとんど居なくて、母親からは「お父さんのようになるな」などと、父を罵る言葉ばかり聞かされてきたわけです。そういう状況で、父親に助けを求めようという気持ちになれたのか……。また、自分のことは誰にも理解されないと思って育ってきたからこそ、誰にも相談できなかったのだろうと思います。
ただ、この本を読んでくださった単身赴任の男性が、家族との関わり方や自分の役割を考えるきっかけになったという感想を送ってくださいました。その方にも娘さんがいて、母と娘の関係が煮詰まってしまうケースがあるのかもしれないと思ってくれたそうです。そういう視点を持ってくださったのは嬉しかったです。
──9浪をへて看護学部へ進学するも、今度は母親から、「助産師」を目指せという強要がはじまる。その後、事件は起きます。
齊藤:あかりさんは<私か母のどちらかが死ななければ終わらなかった>と書いています。積年のフラストレーションがたまりにたまって、その矛先がお母さんに向いてしまったわけですが、同時に自分の人生を終わらせるような覚悟も、ここで持っていたのではないかと感じました。
この本の取材を通じて感じたのは、犯罪者を犯罪者たらしめる環境があるいうことです。人を殺めるのは決して許されない犯罪ではあるのですが、同じような特殊な環境に置かれたら、自分も犯罪者たらしめられてしまうのではないか、ということを考えました。