格闘技には自信があったが、1人だけどうしても勝てない相手がいたという。
「喧嘩には負けたのですが、彼がやりたくないと言うので僕が暴走族の“総長”をやることになったんです。
ただ、警察や病院の厄介になるようなことはご法度でした。仲間や後輩には、盗みやクスリ、それから女性に手を出すようなことは絶対にするなと厳しく言ってました。昭和のスタイルの不良ですよね。”まっすぐな不良でいよう”と誓い合って、みんながそれを守ってくれたおかげで事件になるようなこともありませんでした」
暴走族から足を洗うきっかけは、甥っ子ができたことだった。
「18才になる前くらいから建設現場で働くようになったものの、目標もなく、当てのない日々を送っていました。任侠映画『仁義なき戦い』に憧れて、映画の舞台だった広島に行って1年ほどバーテンダーをやったこともあります。無頼の日々、といいましょうか、人様に言える話でもないんですが…。
これではいけないと目が覚めたのは、結婚した姉が男の子を産んで、ベビーベッドにいる甥っ子を見たときですね。きらきらとした無垢な瞳を見たときに”ちゃんとした叔父ちゃんになりたい”と心の底から思ったんです」
元妻と交際をはじめたのもその頃のこと。妻の妊娠で一念発起した真田は営業の仕事に打ち込み、歌手としての転機も訪れた。
「当時の僕は営業でウォーターサーバーを売っていたのですが、2011年3月に東日本大震災が起きて、日本の水が安全ではなくなるかもしれないという話が広がったんですね。そんな状況下で水を売る仕事に戸惑いがあり、困惑していたときにたまたまテレビで臼澤みさきさんが子供たちと歌う姿を見たんです。感極まって自然と涙が溢れ、やっぱり自分も歌いたい、誰かの励みになったり、勇気を与える存在になることはできないだろうかと考えるようになったんです」
思い立った真田は民謡教室の門を叩いたが、はじめのうちはどこに行っても実力を認めてもらえなかった。
「ツテをたどって、作曲家の宮下健治先生にレッスンしてもらい、仕事の合間を縫って指導していただきました。その後、吉幾三師匠に弟子にしていただいたき、曲を書いていただけることになったときは飛び上がるほど嬉しかったですね。
実は僕の両親も離婚しているんです。まだ荒れた生活をしていた頃、テレビで志村けんさんが師匠の『酔歌』を歌っているのを聴いて、両親のことを思い出して涙が止まらなくなってしまったことがあって、それが僕にとっての演歌の原体験です。まさかのちに師匠の弟子になるとは夢にも思いませんでした」
デビュー以来、真田のすべての曲を吉がプロデュース、4月にリリースされる予定の新曲『酔えねえよ!』も吉が作詞作曲を手がけている。
「実は、今日お話しした子供たちのことも、師匠には先日、報告しました。事前に『お話したいことがある』と言うとが、『なんだ、なんだ? 俺は口が堅いからなんでも相談しろよ!』と話を聞いてくださった。本当に温かい方なんです」