『爆風スランプ』のライブの様子。(写真左から)サンプラザ中野とパッパラー河合
──テレビ番組に出演されるようになったのは、いつ頃からですか?
「『無理だ!! 』で『ザ・ベストテン』(TBS系)に出たんです。50位くらいだったのですが、『もうすぐベストテン』っていうコーナーに出られることになった。当時の音楽番組の力って絶大じゃないですか。テレビに出てみて、“やっぱりみんなから好かれるポップス調の曲を作ろう”ってなったんです。そこから『Runner』(1988年発売)が生まれたんです」
──当時の演奏を聴いても、古い感じがしないですよね。
「編曲は1980年代っぽいかもしれないけれど、ポップスではないから古く感じないんじゃないかな。プロで活動しているので、周りから売れてほしいというプレッシャーは常に感じていました。メンバー同士でも売れたいなって言っていましたね」
──演奏テクニックなど実力派であったのに、当時はコミックバンドのような扱いをされたことに対して、葛藤などありましたか?
「全然ないです! コミカルなものが大好きだったから、気にならなかったですね。売れればなんでもいいって思っていました(笑)」
──コミカルと言えば『ちゃんちゃらおかP音頭』(1985年。サンプラザ中野くんがパーソナリティーを務めていた『オールナイトニッポン』から生まれた)という曲もありましたね。
「あの曲はベストテンに入ったんですよ! レコード店に行ったら8位くらいに入っていて、“なんでだよ~”って感じたのを覚えています」
──九段下駅の発車メロディーにもなっている『大きな玉ねぎの下で〜はるかなる想い』(1989年)は、どのような経緯で誕生したのですか。
「あの曲は、本当にひょうたんから駒みたいな感じでできた。爆風が1985年に初めて日本武道館で公演をする時に作ったんです。あの歌詞はペンフレンドの女の子と武道館ライブで会う約束をしていたのに、女の子が来なかったっていう内容。
つまり、俺たちの武道館ライブで客席が半分しか埋まっていなくても、この空席にはそういうストーリーがあるんだよって言い訳するために作られた曲だったんです」
──九段下駅には、行かれましたか?
「実際に九段下駅でも聞いてみたのですが、嬉しいですよね。あの曲は、発車メロディーをどうするかとなった時に、“やっぱり九段下といえば、この曲だろう”って『大きな玉ねぎの下で』を推してくれた人がいたみたいなんです」