【書評】『井筒俊彦 起源の哲学』/安藤礼二・著/慶應義塾大学出版会/2750円
【評者】平山周吉(雑文家)
司馬遼太郎をして、「この人は二十人ぐらいの天才らが一人になっている」と言わしめたのが、哲学者の井筒俊彦だった。その井筒を「近代日本が生み出した最も巨大なスケールをもった批評家、聖典解釈者」として捉えるのが『井筒俊彦 起源の哲学』である。
井筒は三十年前に亡くなったが、いまなら文庫本が十一冊も出ている。ちょっとした人気の哲学者である。それとは別に岩波文庫で『コーラン』の全訳もある。一般には世界的なイスラーム学者として知られるが、その全体像は『全集』に続いて刊行された『英文著作翻訳コレクション』によって、ようやくその全貌を現わした。
井筒は司馬との対談(岩波文庫『コスモスとアンチコスモス―東洋哲学のために』に併載)で、自身の構想している「東洋」には、イスラム、ユダヤ教、インド、中国、ギリシャ、そして日本が入り、「その世界に通用するひとつの普遍的なメタ的な言語を哲学的につくりだせれば」と抱負を語っていた。五十ヶ国語をあやつる語学の天才という伝説(事実らしい)は、この抱負に比べれば、はるかに小さいものとわかろう。
著者の安藤礼二は、アラビア語やペルシャ語にも挑戦しつつ、本書を書き上げた。安藤は「私にとっての井筒俊彦」を「言葉の持つ呪術的にして詩的な「意味」があらわとなる瞬間、「意味」が生み落とされる瞬間を哲学に、文学に、そして宗教の起源に探究した表現者」という点に求めた。
本書は謎に満ちた生い立ちを解明し、師であった西脇順三郎と折口信夫への相互影響を確認し、大乗仏教、老荘から空海、道元、鈴木大拙へと至る。歯ごたえ有り過ぎの思想家論だ。
論点は多岐にわたるが、どれ一つをとっても興味は尽きない。私にとっては、「井筒俊彦の哲学は、大東亜共栄圏とイラン革命を一つに結び合わせる、戦争の哲学にして革命の哲学であった」として描かれる、昭和十年代の大川周明との師弟関係、京都学派との交流が、危険にして、魅惑的である。
※週刊ポスト2023年10月27日・11月3日号