診療の傍ら、「障害児の受容」をテーマに執筆活動を行ってきた小児外科医で作家の松永正訓さん(62才)は、18トリソミーという重い病気を持った子を授かった笑さんと航さんという夫婦から話を聞き、それを『ドキュメント 奇跡の子』(新潮新書)という一冊にまとめた。
「トリソミー」とは先天性の染色体疾患で、「13トリソミー」「18トリソミー」「21トリソミー」がある。「18トリソミー」は18番目の染色体が3本ある状態で、3500~8500人に1人の割合で生まれる。18トリソミーの受精卵は着床しても94%が流産・死産になり、生まれてくる確率は6%といわれている。生まれながらの合併奇形は脳や心臓だけに留まらず、多数の臓器に及ぶ。
妊娠中に、そのお腹の中の子が18トリソミーであることがわかった笑さん。医師からは、18トリソミーの子は「治療をしても助からないので、治療はしない」と説明されていた。しかし、その言葉に納得できない笑さんは、手術をしてくれる病院を探し出し、転院して出産することとなった。長時間のインタビューを通じて語られた夫婦の軌跡を、松永さんの解説を交えながら辿る。【前後編の後編。前編を読む】 (以下、《 》内は『ドキュメント 奇跡の子』からの引用)
笑さんは妊娠23週に入った。自分のことを「ポジティブで強い人間」と自認してはいたが、お腹の赤ちゃんの数々の病名と今後のことを考えると、不安が胸いっぱいに広がり、恐怖で気が変になりそうになったこともあったという。
「笑さんは強い人でしたが、決して楽天的な人ではありません。赤ちゃんがいつ亡くなるかわからないという恐れを持っていました。常に不安を持ちながら、この後の手術に挑んでいったのです」(松永さん・以下同)
《この頃、夫婦は赤ちゃんの名前を決めた。女の子ということは分かっていた。名前は「まれ」ちゃんだ。希望の希と書いてまれちゃん。
この子は夫婦にとって希望の子だ。マレな確率の病気になり、だけど、どうしても「うマレて」欲しい子。名前を決めた日から夫婦はお腹に向かって「希ちゃん、希ちゃん」と呼びかけた。》
妊娠8か月目。笑さんは思った。いま、お腹の中に希ちゃんが生きているなら何か記念がほしい、思い出を作りたいと。考えてみれば、航さんとは指輪の交換をしただけで、ウエディングドレスも着ていない。そこで思いついた。
「マタニティ&ウエディングフォトを撮ろう」──友人の写真家に撮影を依頼したふたりは、せっかく写真まで撮ったのだから、友人を集めて結婚披露パーティーを開催するのはどうだろうとも考えた。赤ちゃんが生まれても、最初はNICU(新生児集中治療室)に入るはずだから、みんなにお披露目できない。だったら、パーティーで、みんなに希ちゃんのことを伝えたい。みんなにお腹を撫でてもらいたい、と。
病院から近いレストランを予約した。急に決めた話なのに、友人たちに声をかけたら55人も集まってくれた。
パーティー当日、笑さんと航さんはそれぞれウエディングドレスとタキシードに身を包み、皆の前に立った。ケーキに入刀し、人前結婚式の形式で宣誓書を読み上げた。そして、笑さんはスピーチをした。
《「私はいま、妊娠8か月です。今まで子どもというのは普通に生まれてくるものだと思っていました。でも、12人に一人が流産を経験し、50人に一人が死産を経験します。生まれてきても、病気と闘っている子どもたちや家族がたくさんいます。自分が妊娠して、初めていろいろなことを知りました」
会場は静かになった。