じつは、北アメリカにも白人と黒人との混血でありながら差別されなかった人々がいた。クレオールと呼ばれた人々である。彼らはアメリカ合衆国のルイジアナ州がまだフランス領だったころ、ラテン系のフランス人と現地の黒人の間に生まれた混血児だ。
アメリカ合衆国は独立当時は東部の十三州だけだったが、ハワイ王国を五十番目の州として併合するまでさまざまな形で北アメリカの土地を自国の州に加えてきた。メキシコとの米墨戦争で勝利しカリフォルニア一帯がアメリカの州となったこと、アラスカはロシアから買収して同じくアメリカの州になったことは日本人の常識のなかにあるが、意外に知られていないのがルイジアナもフランス領でありフランスから買収した結果、アメリカの州になったことだ。
そもそもルイジアナとは、フィリピンを征服したスペイン人がその地を当時の国王に捧げる意味で「フェリペ」と呼んだように、征服当時のフランス国王ルイ14世にちなんで「ルイの土地」と呼んだのが起源だ。つまり「ルイジアナ」はフランス語であり、州都ニューオリンズも元は「ヌーヴェル・オルレアン」つまり「新オルレアン」だったのである。
フランスの英雄ジャンヌ・ダルクは、その活躍した街にちなんで「オルレアンの乙女」と呼ばれたが、あのオルレアンである。「ヌーヴェル・オルレアン」を英語発音にすると「ニューオリンズ」になる。
スペイン語を話すメキシコから奪ったカリフォルニア州の大都市ロサンゼルスは、元々スペイン語で「ロス・アンヘルス」(英語ならザ・エンゼルス=天使たち)なのだが、それを英語発音にすると「ロサンゼルス」になるように、じつはアメリカにはこういったラテン系由来の地名が多い。
ニューオリンズと言えばジャズ発祥の地としても有名だが、それを生み出した人々の中心にクレオールがいた。彼らはルイジアナがフランスであった時代、なんの差別も受けずに市民として活動し、高価な楽器を楽しむこともできた。黒人奴隷の多くはアフリカから着のみ着のままで拉致されてきた人々であり文化を創造するのは困難だったが、クレオールには余裕があったということだ。
ただし、彼らもルイジアナがアメリカとなってからは厳しい差別に晒された。それでも南北戦争以後は再び「市民権」を取り戻し、ジャズの誕生に大きく貢献したというわけだ。ニューオリンズはアメリカのなかでも独特な雰囲気をもった個性的な都市だが、それが生まれた文化的背景にはこういう事情があったのだ。