でも、やなせたかしはそうしなかった。このあと、顔が半分になった「あんぱんまん」は、ここで初めて蝶を追いかけて迷子になった少年を助け、残り半分の顔を全部食べさせ、顔がないまま、つまり首なしのホラーな状態で少年を背中に乗せ、家まで送り届けてあげます。
少年が家の前から声をかける向こうには、顔のないあんぱんまんが空を飛んでいく。顔なしのあんぱんまんはパン工場の煙突に飛び込み、「ぱんつくりのおじさん」に新しいあんぱんの顔を焼いてもらうのでした。おじさんの顔は、あんぱんまんそっくり。我らがジャムおじさんも、最初から登場するのです。初期設定で現在のアンパンマンはほぼ確立しているのでした。
やなせたかしは、顔がなくなっても飛びつづける、一見グロテスクな「あんぱんまん」にこだわりがありました。
「この最初の絵本で、ぼくが描きたかったのは、顔を喰べさせて顔がなくなってしまったアンパンマンが空を飛ぶところだ。顔がないということは、無名ということ」(『アンパンマンの遺書』)と述べています。
今と違って衣装がボロボロです。鮮やかな衣装でカッコよく飛び回るスーパーマンのアンチテーゼであり、スーパーマンの有名性に対して、アンパンマンは徹底的に無名の存在であろう。そんなやなせたかしの思想がストレートに反映されています。
「残酷」「くだらない」評判は最悪
先述したように最初の絵本『あんぱんまん』は、幼稚園・保育園向けの直販誌、フレーベル館の月刊絵本「キンダーおはなしえほん」の1973年10月号に掲載されました。
一般書店では売っていなかったのです。このときの「あとがき」で、やなせたかしは、子どもたちに読み聞かせるであろう親や幼稚園・保育園の先生に向けてメッセージを残しています。
「子どもたちとおんなじに、ぼくもスーパーマンや仮面ものが大好きなのですが、いつもふしぎにおもうのは、大格闘しても着ているものが破れないし汚れない、だれのためにたたかっているのか、よくわからないということです。
ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そして、そのためにかならず自分も深く傷つくものです。(中略)
あんぱんまんは、やけこげだらけのボロボロの、こげ茶色のマントを着て、ひっそりと、はずかしそうに登場します。自分を食べさせることによって、飢える人を救います。それでも顔は、気楽そうに笑っているのです。
さて、こんな、あんぱんまんを子どもたちは、好きになってくれるでしょうか。それとも、やはり、テレビの人気者の方がいいですか。」
やなせたかしが「アンパンマン」というキャラクターを通して伝えたいことがすべて解説されています。ただし、さすがのやなせたかしも、この15年後、アンパンマンがアニメ化されてテレビの人気者になるとは想像していなかったのでしょう。むしろこの時点では「おそらく人気は出ないだろう」と思っていました。
実際、1973年版の『あんぱんまん』の評判は最悪でした。
版元の担当者から「やなせさん、こんな本はこれ一冊にしてください。やなせさんの本質はやっぱり『やさしいライオン』のような絵本ですよ。あんな本をまた書いて下さい」(『アンパンマンの遺書』)と言われてしまいます。『人生なんて夢だけど』によれば、「幼稚園の先生からの手紙は『顔を食べさせるなんて残酷です』。絵本評論家は『こんなくだらない絵本は、図書館に置くべきではない。現代の子どもは、この絵本を読んでも少しも面白がらないはずだ』」と酷評しました。
(第4回につづく)
【著者プロフィール】柳瀬博一 (やなせ・ひろいち)/東京科学大学教授。1964年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。日経マグロウヒル社(現・日経BP社)を経て、2018年より現職。著書に『国道16号線──「日本」を創った道』など。