痴漢で達成感、上がる自己肯定感
大学を出て就職し、入社2年目に結婚した。《愛ある結婚をすれば、全部やめられるはず》。そう思ったが、違った。長男が生まれ、マンションも購入した。しかし、露出と痴漢はやめられなかった。
「相手を傷つけているという感覚はなかった。嫌がるそぶりの人にはそれ以上やらないから」。抵抗しないということは相手が受け入れてくれたのだと、都合のいい解釈ばかりをしていた。
会社への行き帰りの電車の中での性的逸脱行為は、スリルと緊張を感じる、生きている実感のための儀式のようだった。男性にとっては、もはや性的な欲求のためではなくなっていた。「人がやらないことができたという達成感を得ていた。それで自己肯定感が上がった」と男性は振り返る。会社での嫌なことも忘れられた。
38歳のとき、公然わいせつ罪で逮捕・起訴され、罰金刑を受けた。勾留が週末の3日間だったため、会社にはバレなかったが、妻は心労でやせ細り、会話もなくなった。釈放されたときは「二度とやらない」と誓った。それなのに、帰りの電車内でまた、痴漢をした。その後も繰り返し逮捕された。自分でもわけがわからなかった。
やめなくてはいけないという思いとやめられない自分。性加害者を治療しているという精神科クリニックに行き、依存症の自助グループにも通い出した。ただ、会社で上司からやりたくない仕事を押しつけられたり、理不尽なことを言われたりすると、「こんなにつらい思いをしているのだから」などと言い訳をしては、男性は電車の中で痴漢行為に及んだ。
刑務所の中で感じた、初めての「幸福」
47歳で逮捕されたときは、会社にも知られ、退職した。執行猶予中の犯行だったため、実刑は確実だった。保釈が認められたものの、「もう生きてはいけない」との思いに駆られた。自殺しようと考え、橋から飛び降りようとしていたところを、たまたま通りかかった東日本大震災の被災者に見つかって説得され、死ぬことを思いとどまった。
男性は懲役10か月の実刑判決を受け、服役した。刑務所では高齢者や障害者がいる工場で働いた。作業ができない高齢の受刑者が刑務官に怒鳴られている姿を見て、いたたまれず「自分に指導させてください」と志願した。失禁した認知症や歩けない受刑者の体を風呂で洗ってやると、泣いて喜ばれた。《人からこんなに感謝されることもあるんだ》。人に尽くすことで、素晴らしい幸福感をもらえることを知った。自分の存在意義を初めて認めてもらったように感じた。