和田耕治医師との運命的な「出会い」を果たした
和田耕治医師との運命的な「出会い」
──ショーパブでは、学校では教わらないことも学んだのでは。
先輩たちは、メイクの方法から性転換のリアルまで、いろんなことを教えてくれました。今も胸に留めているのは、「私たちは女じゃない」ということ。ニューハーフなんだよ、それは勘違いしないでねって、口酸っぱく言われましたね。
勘違い、なんです。手術をしても、本質的に「女」にはならない。なれない。ママをはじめ先輩たちは、そこで勘違いすると、後々自分が傷つくという現実をたくさん見てきているんです。男性と恋愛をしても、自分が思っている理想の形になれずお酒に溺れる人もいたしね。
私たちはいくら手術をしても「女」とは違うんだよ、と言うママは強くて綺麗で、器が大きくて、憧れました。
──ママに憧れたんですね。
ママはシンガポールで性転換手術をしていた“先輩”でもありました。ショーパブでは、足を高く上げるようなダンスもするんですけど、性転換をしたママの股のあたりはつるんと美しい。やっぱり男性の性器がついている状態とそうでない状態は違います。私もそうなりたいという欲がずっとあって。
その頃、東京で警察病院の形成外科やクリニックの美容外科で働いたあと、大阪の美容外科医院の雇われ院長として赴任していた和田先生が、お客様としていらっしゃったんです。
──のちに手術を担当してくださる先生ですね。
日本での性転換手術は、1964年に十分な診察を行わずに執刀した医師が逮捕されてから、お医者さんの間でも「やったらアウト」のような、触れてはいけない雰囲気が蔓延していたそうです。もちろん、その事件があってからいろいろな議論がなされて、今はきちんとした診断と手続きを踏めば大丈夫なんですよ。
和田先生は当時まだ性転換の手術をされたことはなかったのですが、ノリがよくて面白いうえに、とてもチャレンジ精神の旺盛な、勢いがある方でした。お金儲けのためじゃないかとか、いろいろ言われたこともあったみたいやけど、私たちみたいな人に信念を持って寄り添ってくれてね。
何度もお店に来てくれて、ご飯も一緒に行ったりするうちに、私はこの先生にならやってもらいたいという思いで、性転換をしたい──男性の性器(睾丸と陰茎)をとって、膣をつくりたいと頼み込んだんです。
──自身が先生の初めての術例となることに、不安はなかったのでしょうか。
先生の形成手術や美容外科での腕は評判で、お店に一緒に来たほかの先生も、「和田先生はとにかく上手、体に傷をつけるのも最小限」って絶賛していたほど。技術はもちろん、人として信頼関係を築けていたのも大きかったですね。
