中学校時代の山上徹也被告
SNSの「お金配ります」投稿に応募
裁判官「令和2年から長期間かけて、パイプ銃を製造している。殺人を思いとどまることはなかったのか」
被告人「考えたことはあるが、製造にも費用、時間をかけているし、経済的負担を考えると、それでやめるとなんのためにしたのか、統一教会への敗北を感じることは避けたかった」
旧統一教会の幹部への襲撃を考えるものの、コロナ禍で幹部の来日予定は少なく、徐々に経済状況は切迫していったという。事件当時、預金は24万円ほどあったが、借金は200万円ほどあった。SNSに多数ある「お金を配ります」といった投稿に、嘘だとわかりつつも応募した。
派遣の仕事を数多く行ってきた。しかし、1年続くところもあれば、2日ほどで退職する職場もあった。銀行口座への入金履歴を見ると、職場からと思われるものが20か所ほどあったという。
事件の約1か月前である6月2日に、職場のトラブルにより派遣先を退職。その後、面接した先で採用確実かと思ったものの不採用となった。その後、7月には、採用決定の電話には出ず、元から決まっていた面接には行くもののその場で辞退するなどした。これはすでに安倍元首相への襲撃を決めていたためであった。
検察官「6月中旬に決まると思っていた仕事が決まっていたら、しばらく働いて犯行は留めていた?」
被告人「それはそうと思う」
山上被告が当時、銃撃を決断した要素として、金銭的な逼迫は大きな要素だったのだろう——後編記事では、勾留中の山上被告に寄せられた600万円以上の差し入れや、12月3日に安倍元首相の妻・昭恵夫人が法廷に現れた際の様子について詳報する。
(後編につづく)
