連載

【連載エッセイ】介護という旅の途中に「第26回 台風のあとで」

 写真家でハバーリストとしても活躍する飯田裕子さんによるフォトエッセイ。父亡き後に認知症を発症した母との暮らしや、親の介護をする娘の気持ちのあれこれをリアルタイムに写真とともに綴ります。

 勝浦で再び始まった母娘の二人暮らし。海や山に囲まれての生活はのどかで美しいものの、ときおり襲う自然の猛威にも対処しなければいけません。

10分後には会話したことを忘れてしまう母

 台風がやってきた。房総半島を直撃した2019年の被害以来、台風シーズンはやはり緊張する。

 台風前夜、ネコが2匹、ミャー、ミャー、外で鳴き声がし餌をねだりにきた。

 春に近所の空き家で生まれた子猫達のようだった。2匹が肩寄せ合っていた姿を4月以来見ていなかったので、生き延びていたことを知ってホッとした。現実的には野良猫に餌をあげることは別荘地のタウン内では禁じられていたが、嵐の直前に見捨てることもできず、魚とご飯をあげたとこと、貪るように食べていた。

 母はテレビで台風が来るというニュースを見るたびに、その話題で会話をするのだが、10分後にはすっかり忘れている。

 外の雨音が激しくなってきても、難聴のせいで母には、聞こえていない。ある意味平和なのかもしれない。以前の母だったら、緊張して「大丈夫かしら」と、怖がっていたに違いない。

 そんな母の様子を見て、私からも台風のことを話題にするのはやめにした。

 そして、その夜は、栗ご飯を炊くことにし、栗を下茹でして母とテーブルで皮を剥いた。

「包丁を硬い栗の皮に入れる時には、指に注意しながらやろうね」と、声かけしながら無事に剥き終え、頂いたばかりの新米と合わせた。

 季節の贈り物はありがたい。黄金色の稲穂が広がる田んぼの脇の山の木々には栗のイガ。ご飯茶碗の中に景色が広がった。

 そういえば、父の好物は栗だった。10月の生まれだったからかもしれない。そのせいか、秋には必ず筑波山へドライブし、栗を買ってご飯を炊いていたことを思い出した。

 総じて母は食べ物に関しての欲が薄い。「面倒くさい」と、台所にたつたびに言っていた。それよりも、布を触ったりしているのが好きなのだ。それでも、秋には父に所望されて、栗を「面倒くさい」と言いながらも剥き、ご飯が炊き上がれば自分もその美味しさに喜んでいた。

 そんなことを思い出して、母に話しをしたのだが

「ああ、筑波山よく行ったわね」と言いつつも、父が栗が好きだったことはトンと忘れている。

 私が呆れた顔をしていると、

「ボケてちょうどよく死ねるのよね、きっと…」と言う。

 そして「でも私はおばあちゃん(姑)よりはいいでしょ?フラフラと出歩かないし、ここにじっとしているから。そういえば、こんなこともあったわね。おばあちゃん、お餅を食べたら気持ち悪い味だったって庭で吐いていてね、パパ(父)が部屋を調べてみたら、石鹸を食べたようだって。私だっていつかそうなっちゃうかもねえ」と笑う。

「視覚や聴覚や匂いも判別できなくなるのかなあ…。味がわからなくなるのは悲しいなあ」と私。

忍び寄る老いを実感するこの頃

 我が家は、父母ともに遠視系の家系で若い頃は全てがはっきりと見えていた。私自身、老眼も進み、メガネに一日中頼っている。しかし、不便を感じるのは特に夏。マスクにメガネで写真撮影をしていると、メガネが曇るし、息も苦しい。酸欠状態になってくる。

 そこで撮影の日には致し方なく遠近両用コンタクトレンズを装着する。しかし、それが慣れない自分にとって心地よいものではない。

 コンタクトレンズのために眼科の検診を定期的に受けるが、先日角膜内細胞を調べるとその数が減っていると言われた。このまま減り続けてしまうと白内障の手術も受けられなくなると医師から伝えられた。

 写真を撮るために欠かせない視力や眼が劣化するのは、自分にとって40代、50代にはなかった別のステージへの移行を感じざるを得ない気分にさせられた。

 しかし、さあ、ここでようやく第三の目、心の目が開眼するのではないか!と、そんな期待もよぎる。

 こうして目の前にいる90歳の母と私がだんだんと近づいてゆく。

 気持ちではまだ老後は遠いと思っていたが、実はもうれっきとした「老」の仲間入りの年齢ではないか。同世代の友人は皆、子育てを終え、孫の話もちらほら。

「ちょっと前まで人生はこの先もまだまだ続くと疑っていなかったけど、ふと今の年齢を自覚するとそう長いものではないんだなあって思う」と友人。

 実は保護犬を飼うという案を想像し、運営サイトにアクセスしてみたら「60歳以上の方が受け入れになる場合はより若い方を保証人につける条件あり。」とあった。

 犬や猫を飼えば、彼らを置き去りにして先に…、と言うことも想定に入れなければならない。

枇杷の木レスキュー

 台風が過ぎた晴天の朝、家のまわりを見回りすると枇杷の木が根こそぎ倒れてた。

 6月に沢山の美味しい実をつけてくれた木は、その後夏にはどんどんと葉を増やし、背も高くなった。来年のさなる結実を期待して肥料もやった。

 母に「あの枇杷の木が倒れた」と告げると、「もう切ってなくしてしまったらいい」と、あっさり言う。

「あんなに美味しい枇杷の実つけてくれたのにそれじゃあ可愛そうじゃない」と言う私に「はて?』という母の顔。

「え!あんなに毎日枇杷の実を取って山積みにして食べていたのも覚えてないの?」

「覚えてない」

 リゾートタウン内の植木屋さんに見てもらうと、すぐには作業できないことと、費用が聞いてびっくりするほど高額だった。そんな時、ご近所に住む、偶然にも館山のヨット仲間だった、器用で何でも自作する友人の顔が浮かんだ。その方は元消防のレスキュー隊員でもあったので、まさに枇杷の木レスキューをお願いした。

「枇杷の葉は1枚が大きいでしょう。だからまともに風を受けて、根も浅いので倒れちゃったんだな」と言いつつ、チエーンソーで枝を少し落とし、ヨットのロープと滑車を使い引っ張り上げる方法を考えてくださった。そんな大木でないと思っていたが、いざ起こそうとすると2人の力では動きもしない。そこで近所のA子さんにもお願いし、彼女の4輪駆動車に牽引してもらい枇杷の木を起こすことができた。ご近所の方の助けは本当にありがたい。

初めての柚子胡椒作り

 そんな折、「柚子の青い実を摘果するので飯田さんどうですか?」と電話が入った。柚子胡椒手作りに挑戦しようと、岩井で柚子の木々を栽培する山を持っている友人に声をかけていたのだった。

 早速柚子山へ行き、棘だらけの柚子の木に注意しながら摘果をし、帰りに道の駅で旬の青唐辛子を買い、初めて柚子胡椒を作ることにした。

 柚子の皮を剥き、最後に擦り鉢で柚子皮と唐辛子と塩を馴染ませるのは昔ながらのすり鉢が一番いいらしい。

 そんな時は母の出番だ。大きな摺鉢は祖母(母の母)の形見。擦りこぎは山椒の木のもの。母の手つきは流石である。明治、昭和の主婦は、まだフードプロセッサーもなく、すり鉢は台所に必ずあった。確か、白い割烹着姿の祖母は白あえ感覚でサラダもすり鉢で混ぜていた。祖母は料理上手だったし、綺麗好きだった。


 手仕事ついでに、卓上でたこ焼きも2人で作ってみた。「あら、たこ焼きなんて作るの初めてだわ」そう言いながら遊び感覚で母は喜んでいた。

 もちろん歯のない母用にタコは細かく刻んだ。テーブルの上の食を通じたコミュニケーションは思いのほか楽しく、美味しく、いい時間だった。

「でも、こんなひとときも忘れてしまうんだね」

 心の中でそう思い、ちょっと寂しい気持ちになった。

つづく)

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写真・文/飯田裕子(いいだ・ゆうこ)

写真家・ハーバリスト。1960年東京生まれ、船橋育ち。現在は南房総を拠点に複数の地で暮らす。雑誌の取材などで、全国、世界各地を撮影して巡る。写真展「楽園創生」(京都ロンドクレアント)、「Bula Fiji」(フジフイルムフォトサロン)などを開催。近年は撮影と並行し、ハーバリストとしても活動中。HP:https://yukoiida.com/

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