連載

兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第122回 自分の身は自分で守らなければ】

 兄は若年性認知症。両親亡き後、兄と2人暮らしをするライターのツガエマナミコさんは、サポートを続けながらも心中は大変複雑です。「どうして私が兄の世話をしなければいけないか?」「いったいいつまで?」「わたしの今後はどうなる?」…。しかし、ツガエさんの悩みは、日々の生活の中に飲み込まれてしまうのでした。

 それでも「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。

 * * *

兄とはなるべく距離をとっておきたい

 先日、久しぶりに映画館で映画を観てまいりました。観たかったコメディ映画が終わってしまっていたので、話題のちょっと怖そうな映画を観たのですが、なんとも後味が悪くて少し後悔いたしました。

 映画が悪かったわけではございません。まだ公開しているかもしれないのでタイトルは伏せますが、登場人物の一人に妙に共感できてしまったからです。彼は人殺しをします。美しく気のいい明るい青年の顔をもちながら自分が頑張っても何もうまくいかない人生を周りのせいにして自暴自棄になって……。一瞬で通りすぎてしまったので台詞は覚えておりませんが、「同じこと考えている」と思えた台詞があり、映画を観ながら「これはわたくしだ」と思ってしまったのです。後味悪すぎです。

 現実の世界でも身勝手な動機で人を殺める人がたまにいます。昔は「意味わっかんな~い」と切り捨てていたことが最近「ちょっとわかるな」と思うようになってきてしまい、自分の中にドロドロしたものが溜まっていると気づいてしまいました。

 語弊が怖いので申し上げておきますが、この人生で人を殺したいと思ったことは神に誓ってございません。ムカつくことは山ほどあっても人を殺すくらいなら自分が死んじゃおうと思うタイプですから。あ、ご安心ください。ツガエは今そんなに追い詰められていません。やはりコメディ映画を観ればよかったと言いたかっただけでございます。

 でも、わたくしごときの普通の人間が、わたくしごときの普通の経験で、ドロドロしたものが溜まってしまうということは、世の中に狂気が充満しているということではないでしょうか。多くの人が日常で湧き上がる怒りのような感情を、身近な癒しや小さな悦びで折り合いをつけながら暮らしているのでございましょう。

 というわけで「人を見たら泥棒と思え」然り、街を歩いていても危機への警戒はするべきだな、と己の精神バランス構造から結論づけてみました。「意味わっかんな~い」と言えた純粋無垢な自分は遠い昔。それとももっと歳を重ねれば一周回って「すべて許せる」人になれるのでしょうか。

 兄は、今日も元気にテレビを観ており、難しい時事ネタに「ふむふむ、そうか」とうなずいております。それを聞く度わたくしは「わからないくせに」と口パクでつぶやいております。

 友人に「お兄さん、どう?」と言われたり、病院やデイサービスで「どうですか?変わったことはありませんか?」と聞かれるたびに、なんと答えたらいいのかわからなくて「特になにも…」と言ってしまいます。

 熱が出たとか、咳をよくするとか、めまいを起こしたといった症状ならわかりやすいですが、トイレで下の毛さまをコレクションしているとか、トレーナーを後ろ前に着ているといったことは、「認知症ですからね」とひと言で片付けられてしまうのが落ち。気づいたらコーヒーも淹れられなくなっていたし、気付いたらスリッパのままベランダとリビングを行き来していたし、気付いたら部屋やトイレの電気がつけっぱなしで、気付いたらトイレでないところでも用を足すようになった兄でございます。

 たぶんわたくしが兄を放置しているのがいけないのでしょう。お散歩やおしゃべりが認知症に良いことも存じておりますが、する気になりません。目に見えて効果が出るものではないでしょうし、それならばわたくしはわたくしの精神を守るために、兄とはなるべく距離をとっておきたいのでございます。先は長い。だからこそです。

 先日、書店で丹野智文さん著書『認知症の私から見える社会』を見かけました。丹野さんは2013年頃、39歳のとき認知症と診断された後、認知症当事者でありながら認知症当事者のために活動している人でございます。手に取ってパラパラと本をめくってはみましたが、なんとなくわたくしの兄への態度が間違っていることを突き付けられそうな気がして、迷った末に購入はしませんでした。これも自分を守るため。わたくしは自己防衛が過ぎるでしょうか……。

 次に映画館に行くときは、多少つまらなさそうでも絶対にコメディ映画にしようと誓うツガエでございました。

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文/ツガエマナミコ

職業ライター。女性58才。両親と独身の兄妹が、7年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現63才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。

イラスト/なとみみわ

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この記事へのみんなのコメント

  • あの煮鱒

    読み返したら変でした。すみませんでした。 誤「自分が期待しない答えが得られないと」 正「自分が期待しない答えが返ってきたら」 です。推敲は大切ですね。お詫びして訂正します。

  • あの煮鱒

    まず、人をあやめたいと思ったことがないというツガエさんに驚愕しました。我が身を振り返れば何人想像上で窓から人を突き落としたり、東京湾に簀巻きにして放り投げたことでしょう。本気でデスノート売っていないかしらと考えることもあります。ツガエさん、間違っていたらすみませんが、人生で初めて人を怨む、それがお兄さんだったのでありませんか。小さな怒りはやがて大きな怒りになるといいます。カッとなって思わず手が出そうになったらすぐその場を離れてください。介護にはこれが正解というものはありませんが、デイの方に兄とはもう関わりたくない、顔も見たくないという気持ちを素直にお話しされてみてはどうでしょうか。どうせこう言われるとか、話してもいないのに自分が期待しない答えが得られないと嫌だ、傷つきたくない、というお気持ちは分かりますが相手のあることはアクションを起こしてみないと分からないですし、話しているうちに考えや心がまとまってくることもあります。暖簾に腕押し、腐った対応だったら、デイを紹介してくれた編集部の方に今後のカラオケ代全額負担か稿料倍額支払ってもらいましょうね。(ああ、自分の邪悪さよ…)

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