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加藤登紀子さんが明かす「夫を失った寂しさを癒してくれたみそ汁と鴨川の暮らし」

 夫を亡くした後、どう生きてきたか――夫への思いや日常の変化など、歌手の加藤登紀子(78)さんにお話を伺った。夫・藤本敏夫さん(享年58)と過ごした千葉・鴨川での暮らしや看取り、現在想うことを明かしてくれた。

ステージの上で、私なりのお別れができた

 2002年7月31日、歌手・加藤登紀子の夫である藤本敏夫さん(享年58)がこの世を去った。

「亡くなる1年前に肝臓がんが判明し、友人の医師から“あと1年”と言われていたので、それなりの覚悟はありました。とはいえ、藤本は入退院を繰り返しながらも、書籍用の原稿を書いたり、仕事の指示を出したり、忙しく過ごしながら、新しい治療法を模索し、生きることを諦めないでいたんです」(加藤・以下同)

 しかしその日は突然訪れた。

 レコーディング中に、夫が肺炎にかかり急変したとの連絡を受けた加藤は、すぐに病室へ駆けつけた。ところがすでに、血中酸素飽和度がかなり低下し、80を切っていたという。加藤は一晩中、血中酸素濃度計を見ながら、夫と二人三脚で「吸って吐いて」と呼吸を繰り返したという。

 そして翌朝、親族がそろったのを見ると「もういいだろう」と酸素マスクを外し、藤本さんは家族に見守られながら最期を迎えた。

「最期の瞬間を見届けられたのは、いま思い返してもよかったと思います。私の中でピリオドが打てました」 

 その晩、病院を出て自宅に向かう車の中で、加藤はマスコミに向けて次のコメントを発表した。

<2人の人生はいまからまた別な形で始まると思っています。彼が残した未来への夢を、受け継ぎ、やり遂げたいと思います>

「藤本へのさまざまな思いがあふれていて、冷静にものを考えられないときに、とりあえず書いた言葉でしたが、このコメントが、その後の20年間、私の大きな支えになりました」

 通夜、葬儀は冷静に終え、その翌日には、予定していたコンサートを成し遂げた。

「1曲目を歌い終えると、水を置く台に分厚いタオルも置いてありました。スタッフが置いてくれたのね。それを見て思わずお客さんに、“こんなぞうきんみたいなタオルで涙を拭きたくないわ。どうせならもうちょっと素敵なハンカチを置いてほしかったわ!”と言ったら、ワ~ッと笑ってくれて…それがうれしかったですね。

 そのコンサートの最中、私は彼と、ふたりきりになれた気がしました。ステージの上で、私なりのお別れができたんです。思い出深いコンサートになりました」

 翌日はまたアルバムのレコーディング。結局この年で仕事をキャンセルしたのは、夫を見送った日のみ。その後今日に至るまで、休むことなく走り続けてきたという。

夫の残したみそに寂しさを癒された

 その後の加藤には自身の仕事のほかに、夫が残した事業の引き継ぎが待っていた。夫は千葉県鴨川市に有機農業を中心とした理想の農業を行うための法人「鴨川自然王国」を1981年に設立していた。これを引き継ぐことで、初めて知る夫の顔があったという。

「藤本が打ち込んできた事業を引き継ぐということは、彼の人生や全存在を受け止め、引き受けるということなんですよね。彼のスタッフから、“奥さん、これはどうします?”と聞かれ、決定をゆだねられるたびに、初めて“奥さん”になった気がしました。それと同時に交友関係にせよ仕事内容にせよ、いままでいかに夫のことを知らなかったのかを実感しましたね。亡くなってからようやく彼のことを知ったんです」

 自分の人生が大海原に向かって舵を切った―喪失感よりも、えらいことになったぞという気に満ちあふれたという。

 そして、この事業経営のため鴨川で過ごしたり、歌手活動をするために東京に戻ったりと、千葉と東京を行き来する忙しい日が続いた。

「目まぐるしい毎日だったんですが、それでも、真っ暗な家に帰ると、やっぱり寂しいんですね。特に藤本と一緒に朝ご飯を食べることが多かったので、朝食の時間がつらかった。

 でもそんなある日、鴨川にある作業小屋の床下に、謎の樽をたくさん見つけたんです。それは彼が2年前に仕込んだみそ。食べてみたらびっくりするほどおいしかったので、持ち帰って毎朝そのみそでおみそ汁を作り、朝ご飯にいただくことにしたんです。仏壇の彼に“おいしいよ”と報告しながら。そうしているうちに、元気になっていきました」

鴨川に行けば彼に会える

 夫の死から約20年が経ち、現在は加藤の次女夫婦が、鴨川自然王国の後継者となり、事業を運営している。

「私はこのコロナ禍で、鴨川と東京を行き来するのを一度やめ、東京でひとり暮らしをしています。でも正月など、節目節目には鴨川に帰って、家族と集まっています。だって、鴨川に行けば、藤本は生きているんですもの」

 夫がやってきた田植えなどの農作業をやることで、一緒に生きている実感が持てるのだという。肉体はなくなっても、そこに生きていた証がある、そう思える場所を夫が残してくれたことに改めていま、感謝しているという。

家事やルーティンを全力で楽しむ

 この20年で、加藤の周囲でも配偶者に先立たれる人が増えてきたという。

「彼らを見ていると、パートナーが亡くなってからどう過ごそうか、皆それぞれ、ストーリーを持っているように見えます。人間って、目的がないと元気になれないから。

 私自身、ひとりになったことで、仕事以外でも自分のストーリーができました。いわゆる、ルーティンですね。ここ5年間は、毎朝決まったものをお盆にのせて食べています。夜はキャンドルをともしてゆっくりお風呂に入るの。家事も楽しい。くさくさしているときに、洗濯物を干すと気持ちいいんです。家事は全身を動かせるし、達成感もありますよね。心の安定剤になっています。もともと料理は好きでしたが、コロナで時間ができてからは、ロシアの家庭料理をマスターしたんですよ。先日は、ロシア風ミートボールを娘や孫たちに披露したら、みんな喜んでくれてうれしかったなあ。こんなふうに、楽しく生きられる方法は、いっぱい見つけられると思います」

 夫の死後、「どう生き抜くか」より「どう楽しむか」を模索する。それこそ、女ひとりの人生を謳歌するのに必要な条件なのかもしれない。

加藤登紀子さんに4つの質問

■1.悲しみの対処法は?

「藤本が他界して事業を引き継いだことで、彼という存在が私の中で90%を占めるようになりました。生前より、いつも一緒にいるような感覚がずっと続いています。それに、きちんと見送れたので後悔はなく、寂しいと思う朝はあっても、悲しいことはありません」

■2.遺品の片付けは?

「鴨川自然王国」の仕事をはじめ、遺品は残してあるという。特に病床で書き上げた原稿には、加藤から結婚を申し込まれたときの喜びを綴った文章が…。

「私からのプロポーズをうれしいと言ってくれたことがなかっただけに、感激しました。『最後のラブレター』です」

■3.夫の交友関係を知っていた?

 藤本さんは鴨川、加藤は東京と離れて暮らし、仕事も別々のため、死別後に初めて知る交友関係も多かったという。

「死後約20年も経ったいまになっても、彼と面識があったという人が現れたりして、彼の交友関係の広さに改めて驚かされます」

■4.日常生活が変わった?

「事業を引き継いで新たな人生に船出した気にはなりましたね。社会的責任もありますし必死でした。でも、自分の人生の後始末をしてから逝くと、次世代とつながれないとも思いました。私は彼の人生の続きを一緒にやることで、彼の死後も彼と一緒に生きられた。人生をきちんと完結して終わらせなくてもいいのではないかと思いましたね」

教えてくれた人

加藤登紀子さん

1943年生まれ。1965年に歌手デビューし、『ひとり寝の子守唄』『知床旅情』『百万本のバラ』などがヒット。スタジオジブリ作品映画『紅の豚』では声優としても活躍。1972年、学生運動家の故・藤本敏夫さんと獄中結婚。3人の娘に恵まれる。

取材・文/桜田容子

※女性セブン女性セブン2022年2月10日号
https://josei7.com/

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