公開日:2022.05.04   

引退力士が選んだ第2の人生 「新たな土俵は介護職。力士のセカンドキャリアサポートも」 

 大相撲の元力士4人が引退後のセカンドキャリアに選んだのは介護の仕事だった。体力自慢だからこその適職かといえば、さにあらず。上下関係の厳しい相撲界で身に着けた気配り、目配りが利用者の心を掴む。大きな体と優しい笑顔で、今日も温かく出迎える。

相撲部屋の共同生活で身に着けた気配りと協調性が介護にピッタリだ
(左上)中板秀二氏(駿馬、東幕下22枚目)、(右上)山田裕三氏(若兎馬、東前頭11枚目)、(左下)阿嘉宗彦氏(若ノ城、西前頭6枚目)、(右下)上河啓介氏(若天狼、西十両2枚目)

「介護の土俵」で第2の人生をスタート

 東京スカイツリーにほど近い下町・墨田区の一角に、4人の元力士が利用者のケアを担う介護施設がある。

 スタッフに元力士を配するという全国でも珍しい形態の「デイサービス花咲」を運営するのは上河啓介氏(44)。中学卒業後に角界に入り、「若天狼」の四股名で十両まで昇進した。2011年に現役を引退後、株式会社シリウスを設立、13年から「介護の土俵」で第2の人生をスタートさせた。

●上河啓介氏 (若天狼、西十両2枚目) 44歳、183㎝、155㎏

中学卒業後に角界へ。93年に初土俵を踏み、01年に新十両へ昇進するも11年に引退。株式会社シリウスを設立する。介護ヘルパーの資格を取り、13年にデイサービス花咲を開業

●中板秀二氏 (駿馬<しゅんば>、東幕下22枚目) 40歳、163.5㎝、92㎏

大学卒業後、日本語教師になる予定だったが角界に入り、17年に史上最高齢の35歳2か月で新幕下昇進。19年に引退し、シリウスに入社。担いでいるのは大関に昇進した際の現横綱・照ノ富士

●阿嘉宗彦氏 (若ノ城、西前頭6枚目) 48歳、190㎝、130㎏

高校卒業後に角界に入り、97年に千代大海らと新入幕を果たす。沖縄県から史上3人目の幕内力士として活躍するも04年に引退。開業当初からデイサービス花咲の運営に携わる

●山田裕三氏 (若兎馬、東前頭11枚目) 44歳、175cm、100kg

93年に初土俵を踏み、03年に新入幕を果たす。引退後は親方として後輩の指導にあたり、10年に相撲協会を退職。現在は2号店「デイサービス花咲なりひら」の管理責任者として働く

※番付は現役時代の最高位

「知人が介護の仕事をしていて、大相撲で培った経験が役に立つと思ったのがきっかけです。利用者の日常生活をサポートするのが介護の仕事。力士は力があるという理由だけで始めたわけではなく、相撲部屋で共同生活を送るなかで気配りや協調性が身に着いているのでピッタリだと思ったからです」(上河氏)

 送迎車から軽々と車椅子を下ろす上河啓介社長。スタッフのシフトを埋める交代要員になるなど、休みはほとんどない。「仕事が趣味みたいなもので、まったく苦になりません」(上河氏)。事務室で机に向かう時間も多い上河氏は、「初心を忘れないために相撲協会のカレンダーを今も使っています」と話す。

送迎車から軽々と車椅子を下ろす上河啓介社長。スタッフのシフトを埋める交代要員になるなど、休みはほとんどない。「仕事が趣味みたいなもので、まったく苦になりません」(上河氏)
事務室で机に向かう時間も多い上河氏は、「初心を忘れないために相撲協会のカレンダーを今も使っています」と話す

 施設の利用者数は上限10名だが、毎日ほぼ満員だという。昨年12月には近隣に2号店を開設するほど順調だ。元力士が作る食事は美味しいと評判で、週4日利用する伊藤満寿さん(70)も「花咲でちゃんこ鍋を食べるのが楽しみです」と顔をほころばせる。現役力士が施設を慰問することもあり、昨年末には横綱・照ノ富士が訪れ、利用者を喜ばせた。

 この日の昼食は塩ちゃんこ鍋。利用者の伊藤さんから 「真面目で勤勉」と評される中板氏は、食事中も気配りを欠かさない。「ちゃんこ番」を担当した中板氏は「味噌やトマト味も人気」と話す。相撲部屋での経験があるから、料理は全員得意だ。

この日の昼食は塩ちゃんこ鍋。利用者の伊藤さん(中)から 「真面目で勤勉」と評される中板氏(右)は、食事中も気配りを欠かさない
「ちゃんこ番」を担当した中板氏は「味噌やトマト味も人気」と話す。相撲部屋での経験があるから、料理は全員得意だ

「介護は“頭の瞬発力”が必要です」

 だが、始めた当初は知名度が低く、利用者が1名という日も続いた。「慣れない介護に戸惑うことも多かった」と上河氏は振り返る。

「トイレや食事の時間を含めて施設で過ごされる間は、常に利用者への注意が必要ですし、入浴の介助も気配りが欠かせない。例えば女性の場合、男性にはない女性特有の注意が必要になりますが、最初は分かりませんでした」

 施設の立ち上げから一緒に働く元幕内力士の阿嘉宗彦氏(48)は、上河氏に誘われて介護の世界に飛び込んだものの、右も左も分からず苦労した。

 昼食後のアクティビティ時間は、各自が散歩やゲームをして 自由に過ごす。利用者と手の大きさ比べをする阿嘉氏。

昼食後のアクティビティ時間は、各自が散歩やゲームをして 自由に過ごす。利用者と手の大きさ比べをする阿嘉氏

「利用者それぞれ性格も違えば要介護度も違うので、何かを言われた際の対応でも答えが1つとは限らず、柔軟性が求められます。相撲は体の瞬発力が大事ですが、介護に必要なのは“頭の瞬発力”です」(阿嘉氏)。「無理はしないでくださいね」と呼びかけながら、相撲の動きを取り入れた体操を教える阿嘉氏。昼食前は全員で運動するのが日課。

「無理はしないでくださいね」と呼びかけながら、相撲の動きを取り入れた体操を教える阿嘉氏。昼食前は全員で運動するのが日課
節分には利用者と豆まきをして無病息災を願った。 季節のイベントは大事にし、利用者の誕生日会も毎月開催する

 デイサービス花咲に入って3年目の中板秀二氏(40)は、今年から本店の責任者を務める。現役時代は照ノ富士の付け人もしていた。

「常に人に目を向けて気配りをするという点では、関取のお世話と共通点があります。薬の種類や介護の仕方など覚えることも多くて苦労はありましたが、相撲と比べればそれほどでもありません(笑)」(中板氏)

 近所のお寺まで散歩に付き添う中板氏。「体が大きいので、 よろけそうになってもちゃんと支えてくれるので安心です」(伊藤さん) 

近所のお寺まで散歩に付き添う中板氏。「体が大きいので、 よろけそうになってもちゃんと支えてくれるので安心です」(伊藤さん

 引退する力士の就職をサポートすべく、一般社団法人「力士セカンドキャリア推進協会」も設立した。

「現役時代どれだけいい成績を残しても、多くの力士は引退すればゼロからのスタートになります。新たな人生の選択肢を広げる手助けをしたいと思い立ち、始めました」(上河氏)

撮影/内海裕之 写真/時事通信社 取材・文/戸田梨恵

●週刊ポスト2022年4月22日号

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