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『鎌倉殿の13人』21話 八重さんが!伊豆にいる義時(小栗旬)は、まだ妻の死を知らない

 NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』21話は、20話で非業の死を遂げた義経(菅田将暉)に代わるように新しい登場人物がつぎつぎと現れ、比較的平和に進む回なのかと思いきや、最後に恐ろしい悲劇が……。「仏の眼差し」(副題)の回を、歴史とドラマに詳しいライター、近藤正高さんが、歴史書を紐解きながら解説します。

主従関係を覆す者は許さない頼朝(大泉洋)

『鎌倉殿の13人』第21回は、義時(小栗旬)が土肥実平(阿南健治)とともに、前回死んだ義経(菅田将暉)をしのぶ場面で始まった。オープニングの直後には、その義経を死に追いやった藤原泰衡が、全国から兵を集めた頼朝軍によって攻め滅ぼされる。ただし、例によって肝心の合戦のシーンはなく、ナレーション(長澤まさみ)での説明のみであっさり処理された。

 劇中ではすでに戦は終わっており、頼朝(大泉洋)が平泉の館(大量の金銀財宝が残されていた)を検分するなか、泰衡を討ち取った河田次郎(小林博)が和田義盛(横田栄司)に連れてこられる。

 河田次郎は先祖代々奥州藤原氏に仕えてきたが、主君である泰衡を裏切って討ち取った。頼朝にとって最後の脅威であった奥州藤原氏を滅ぼすのに貢献したのだから、河田としてはきっと褒美をもらえるものと期待しただろう。しかし、頼朝は彼を不忠者として、すぐさま斬首するよう命じた。これまた例によって冷酷な処置ではあるが、頼朝が権力の保持のため、主従関係を覆す者は許さないのは当然といえる。

頼朝と後白河法皇(西田敏行)の思惑

 頼朝は天下草創の総仕上げとして、次は後白河法皇(西田敏行)を何とかせねばならないと最後の目標を掲げる。その横では義時がずっと浮かない様子であった。自分が泰衡をそそのかして義経を死に追いやったことに負い目を感じていたのだ。

 だが、頼朝は義時に、己の所業の正否を決めるのは天しかないと諭す。そして「天が与えた罰なら、わしは甘んじて受ける」と断言するのだった。このセリフは、頼朝が己の幸運を自負したともとれるし、これまで誅殺された者たちは天罰が下ったのだと自らの所業を正当化したとも解釈できる。と同時に、今後頼朝がたどる運命を考えると、何やら暗示的にも思える。

 頼朝は鎌倉に戻ると、上洛に向けて動き出す。京からは義時の父・時政(坂東彌十郎)が戻っていた。時政は京に赴任中、すっかり法皇に気に入られていた。一緒にすごろくをしても法皇がズルをすると時政はしっかり注意するため、かえって信用されたらしい。裏表のない態度が気に入られた点は義経と同じだ。

 法皇は奥州攻めの褒美として、頼朝に望みの恩賞を出すと伝えてきたが、彼はきっぱり断った。それを法皇は、頼朝が奥州攻めは自分が勝手にしたことであり、今後は法皇の言いなりにはならないと宣言したものと受け取って憤慨する。

 史実では、義経の死後、法皇はこれをもって国内には平和が取り戻されるだろうとして、頼朝に弓矢を収めるよう(つまり軍事活動はやめるよう)使者を介して伝えていた。だが、頼朝はこれに反して奥州攻めを決意し、準備を進めた。その一方で、泰衡追討の宣旨を得ることにはこだわり、朝廷に要請する。結果的にこれが受け入れられなかったため、強引に奥州へ軍勢を向けたのだった。

 こうして奥州攻めは頼朝が「勝手にしたこと」になった。すでに独自の主従関係を形成していた頼朝は、合戦に勝利しさえすれば、朝廷とは無関係に敵の所領を恩賞として分配できた。それゆえ朝廷から自立した軍事行動が可能だったのである(元木泰雄『源頼朝 武家政治の創始者』中公新書)。

 奥州攻めは宣旨を得ないまま遂行されたが、勝負がついたあとで、朝廷は頼朝を称賛し、恩賞を与えると申し入れることでこの合戦を公認した。『吾妻鏡』文治5年(1189)11月3日条によれば、頼朝は恩賞の打診に手を打って喜んだものの、7日になってこれを固辞したとある。筆者が見るに、頼朝の辞退は、自分はすでに恩賞を受けるのではなく与える立場にあることを誇示するためのパフォーマンスだったようにも思える。

「私、きょうから葵になりました」

 さて第21回では、前回、義経とその周辺の人物たちが総退場したのと入れ替わるように、続々と新顔の人物が登場した。まず出てきたのは、御家人の八田知家(市原隼人)だ。知家は、義時の館では身寄りのない子供たちを世話していると聞き、鶴丸(佐藤遙灯)という飢饉で両親を亡くした少年を彼に託す。義時の妻・八重(新垣結衣)は、温かく鶴丸を迎え入れ、息子の金剛(森優理斗)とも分け隔てなく接することになる。

 北条家では、時政の後妻・りく(宮沢りえ)が念願の男児を出産し、家族が祝いのため勢ぞろいした。ここで初めて、実衣(宮澤エマ)より下の義時の弟妹が顔を出す。

 妹のちえ(福田愛依)は畠山重忠(中川大志)に、末の妹のあき(尾碕真花)は稲毛重成(村上誠基)にそれぞれ嫁いでいた。さらには弟の時連(瀬戸康史)も、長姉・政子(小池栄子)の娘である大姫(南沙良)に頼まれたまじない用のイワシを持って現れた。それにしても、これだけの弟妹がいきなり一気に出てくると、彼らは一体いままでどこにいたのかと、つい野暮なツッコミをしたくなる。

 奥州攻めをもって鎌倉方には敵がいなくなり、北条家にも家長の時政に嫡男が生まれてまずは安泰といった雰囲気が漂う。しかし、心配の種もないではなかった。その第一は大姫である。彼女は、子供が産まれて幸せいっぱいであるはずの時政に向かって、なぜか元気がないと言い出し、「おじじ様、元気になるおまじないを葵が教えてさしあげます」と何やら唱え始めた。

 ここで彼女がさらりと「葵」と名乗ったことに気づき、「おや?」と思った視聴者も少なくないだろう。ただ、大姫は本来、貴人の長女を指す普通名詞なので、彼女にもきっと実名が(記録には残っていないが)あったはずである。筆者はそう思い、「そうか、このドラマでは大姫は葵という名前なのか」としばらく見ていた。だが、彼女がまじないを唱えたあと「おじじ様、葵が紙に書いて差し上げます」と言ったところで政子が口を挟んだ。

「ちょっと待って。さっきからその葵と言うのは……?」
「あ……私、きょうから葵になりました」

 ええ~っ、大姫が自分で勝手につけた名前だったのか! 由来はどうやら『源氏物語』の葵上らしい。まあ、それもわからないではない。大姫より170年ほど早く生まれた菅原孝標女の『更級日記』でも、父・孝標の赴任先である東国・上総で育った彼女が、周囲から聞く『源氏物語』に憧れ、帰京してから実際に本を手にすると読みふけるさまがつづられていた。おそらく孝標の娘にかぎらず東国に住む役人や武家の娘たちにとって、『源氏物語』に描かれる京の貴族の暮らしや恋愛は憧れの的であったはずだ。大姫が葵を名乗ったのも、けっして根拠のないことではない。

 年頃の少女が別の名前を自分につけるのも、古今東西のフィクションに見られ、けっして珍しい話ではない。有名どころでは『赤毛のアン』の主人公アンが、彼女を孤児院から引き取ったマリラと初めて会ったとき、アンという名前はロマンチックではないから、コーデリアと呼んでほしいと言って驚かせていた。

 もっとも、アンが別名を名乗った根底には、孤児院でのつらい経験があった。大姫の“改名”も、おそらくは許嫁の源義高をほかならぬ父・頼朝に殺された経験が原因している。あれから5年が経ち、表面上は立ち直ったかに見えたが、彼女が心に負った傷はまだ癒えていないのだ。『源氏物語』の世界に没頭するのも、まじないや魔除けにやたらと夢中になるのも、すべては現実逃避の表れなのだろう。頼朝はそんな娘を後鳥羽天皇に嫁がせるため画策しているが、それで彼女の心の痛手が解消されるとはとても思えないのだが……。

 いまひとつの心配の種は、りくがこの際だからとぶちまけていたように、比企家が頼朝の嫡男・万寿(鳥越壮真)の乳母家になって以来、義経、範頼(迫田孝也)と頼朝の弟たちにも血縁の娘を嫁がせ、源氏との関係を深めていたことだ。といっても政子は頼朝の正妻であり、義時も頼朝の右腕として活躍している。それを思えば、北条家の地位は揺るぎないはずだが、りくには比企に出し抜かれるのが気が気ではない。むしろ彼女が家族に比企への対抗心を煽ること自体が、将来的に争いの種になるのではないかと懸念を抱かせる。

母の思いを、どうか金剛にはわかってほしい

 時政はそんなりくから一時避難するように、義時をともなって伊豆に建立した願成就院に赴く。すでにそこに納める仏像は、仏師・運慶(相島一之)につくらせていた。運慶は、時政が法皇に対してそうであるように裏表のない人物で、寺院で出会うとすぐに時政たちと打ち解け、一献傾けることになる。ちなみに、このとき運慶が自分の母親と似てしまったと打ち明けた阿弥陀如来坐像の顔立ちは、目を開いているところなど、願成就院に現存する像とは異なる。それというのも、現在の像は顔面が損傷により江戸時代に補修されているからだ。当時の運慶の表現は、むしろ浄楽寺(和田義盛が創建)の阿弥陀如来像の顔立ちに伝えられているという(塩澤寛樹『大仏師運慶』講談社選書メチエ)。ドラマに出てきた像もたしかに浄楽寺のものに近い。

 悲劇はそのころ、あまりに唐突な形で訪れた。八重が子供たちを川で遊ばせていたところ、鶴丸が向こう岸近くまで流されてしまった。彼女はすぐさま川に入って鶴丸を抱きかかえるが、自分もまた流れに取り残されてしまう。それに三浦義村(山本耕史)が気づいて川に飛び込み、八重から鶴丸を受け取って岸に戻った。しかし、彼女は皆が一瞬目を離した隙に姿を消す。これを受けて鎌倉総出で捜索が行われるも、その夜、遺体になって発見されたと仁田忠常(高岸宏行)から義村に伝えられた。伊豆にいる義時は、まだ妻の死を知らない――。

 今回の話をあとから振り返ると、あれは八重の死亡フラグだったのではないかと思わせる場面がいくつかあった。義時夫妻が金剛を万寿に引き合わせた際、頼朝が八重と付き合っていた頃の話をさんざん披露して政子にたしなめられていたのも、たぶんそうなのだろう。それから帰宅した八重が、結婚したのがあなたでよかったと義時に告げ、抱きしめられる場面などは、夫婦の情愛を最後に確認するため用意されていたに違いない。

 八重の死で心配になるのは、金剛が鶴丸を母親が死んだのはおまえのせいだと責めたりしないかということだ。八重は、溺れそうになった鶴丸に、かつて川に投げ込まれて殺された千鶴丸(彼女が頼朝とのあいだに儲けた息子)を重ね合わせ、自らの命も顧みずに川へ飛び込んだ。そんな母の思いを、どうか金剛にはわかってほしいが……。

 最後に今回のツッコミどころをもう一つ。それは、義村が八重を助けようと着物を脱いで、ムキムキの肉体をさらしたことだ。演じる山本耕史が裸体をさらすのは、どうも三谷作品ではお約束になっているようで、『真田丸』でも、コロナの自粛明けに上演された舞台『大地』(大泉洋主演)でもあった。それが『鎌倉殿』では今回に設定されたということなのだろうが、果たしてあのような深刻な場面でよかったのかどうか。ネットでも話題になっていたように、筆者もどうも山本の体に目がいって気が散ってしまった。その点は、一応、苦言を呈しておきたい。

文/近藤正高 (こんどう・ まさたか)

ライター。1976年生まれ。ドラマを見ながら物語の背景などを深読みするのが大好き。著書に『タモリと戦後ニッポン』『ビートたけしと北野武』(いずれも講談社現代新書)などがある。

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