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『鎌倉殿の13人』42話 実朝の夢の船は叶わず、義村の裸は無駄に終わる…そしてついに公暁の帰還

 NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』42話。実朝(柿澤勇人)は、夢の中に現れた後鳥羽上皇(尾上松也)の言葉を受けて、実権を北条から取り戻し、自ら政治を行おうと決意する。そして、京から源仲章(生田斗真)が連れてきた宋の工人のすすめで宋に渡る大きな船を建造しようとするが、そのプランに上皇の影響を感じ取った義時が裏で動いて……。「夢のゆくえ」(副題)の回を、歴史とドラマに詳しいライター、近藤正高さんが、歴史書を紐解きながら考察します。

夢のなかのお告げ

 第42回の冒頭、鎌倉殿・実朝(柿澤勇人)の夢のなかに後鳥羽上皇(尾上松也)が現れた。上皇は「私だよ。上皇様だよ」と懐かしのにしおかすみこのギャグを想起させる自己紹介をしたかと思うと、実朝に「ともに力を合わせて日本を治めようぞ」「北条に惑わされるな」と迫り寄り、そのまま消え去った。

 かつて頼朝が夢に現れた後白河法皇に促されて挙兵したように、息子の実朝も、夢のなかの上皇のお告げを受けて、鎌倉での実権を北条から取り戻し、自ら政治を行おうと決意する。そのために協力を求めたのが泰時(坂口健太郎)だった。泰時は自分も北条だと躊躇するも、実朝は義時に異を唱えられるのはおまえだけだと説得し、久々にコンビが復活する。

 今回は実朝の夢に上皇が出てきた以外にも、頼朝が生きていたころを思い起こさせたり、登場人物が頼朝に言及する場面があいついだ。宿老たちとの評議では、旱魃のため今年は将軍家領だけでも年貢を減らしたいとの実朝直々の提案に、義時(小栗旬)――彼は今回、妻ののえ(菊地凛子)の勧めもあり、ついに執権を名乗るようになる――が反対するなか、泰時が補足説明を行って後押しした。これを義時が訝しみ「おまえはどういう立場でそこにいるのか」と訊ねると、泰時は「父上が義理の弟というだけのことで頼朝様のおそばにお仕えしたのと同じです」と言い返す。

 このあとも、政子(小池栄子)のもとには後白河法皇の寵姫だった丹後局(鈴木京香)が現れ、実朝は京から源仲章(生田斗真)が連れてきた宋の工人・陳和卿(テイ龍進)と対面した。丹後局も陳和卿も、かつて頼朝が娘の大姫を後鳥羽天皇(当時)に嫁がせようと朝廷に工作するため上洛したときに登場した人物である。あのとき、丹後局は指南を求めて訪ねてきた政子を田舎者扱いするなど、厳しい態度を示した。陳和卿にいたっては、頼朝を殺生を重ねた大悪人と見なし、会うことさえ拒否した。頼朝・政子夫妻を京で落胆させた張本人たちが、ここへ来て再登場し、以前とは異なる振る舞いを見せたのが興味深い。

 丹後局は修行と称して諸国をまわっている途上、鎌倉に立ち寄ったという。久々の面会で政子が、頼朝の妻になったがゆえにつらいことも多々あり、たまに心の芯が折れそうになると打ち明けたところ、丹後局は「いいかげん覚悟を決めなさい」とぴしゃりとはねつけた。厳しさはあいかわらずだが、しかし、そのあとで「何のために生まれてきたのか、何のためにつらい思いをするのか、いずれわかるときが来ます」と穏やかに語りかけ、以前とは違う心の温かさを見せた。

 一方、陳和卿は、実朝と面会するや、前世において実朝は宋の医王山の長老で、自分はその門弟であったと感激しながら述べた。実朝もまたこの光景を以前夢で見たと思い出し、夢のなかのそなたも同じことを言っていたと、ひそかにつけていた夢日記まで見せ、彼との因縁に感動を隠せない。これに乗じて陳和卿は、宋に渡る大きな船をつくりたいと申し出ると、実朝は即座に承諾した。

 しかし、陳和卿が実朝の見た夢そのままの話をして信頼を得たことに疑念を抱く者がいた。ほかでもない泰時である。彼の推察では、実朝の夢日記は、盗み見ようと思えば可能な場所に置かれており、京から来たばかりの陳和卿は無理としても、仲章が事前に読んでいた可能性があるというのだ。義時は息子からそれを聞いて、即座に上皇の差し金だとピンと来た。もともと船をつくるのは御家人への負担が大きすぎると批判的だった義時は、これを機に計画は何としても止めねばならないと決意する。泰時は泰時で、結果的に義時を利する情報を与えてしまい、忸怩たるものがあったのだろう。あとで実朝を後押しすべく、八田知家(市原隼人)に船の建造の世話役を依頼する。

 丹後局と陳和卿の態度の変化は、そのまま朝廷と鎌倉の関係の変化の表れと解釈できる。頼朝が朝廷と距離を置いた(置かれた)のに対し、実朝は積極的に上皇に接近し、上皇もまた彼を取り込もうとしている。陳和卿はそのために鎌倉に放たれた仕掛け人であったというわけだ。丹後局はべつに上皇から命じられたわけではないが、その助言は結果的に政子が実朝の後ろ盾となり、義時と対立するきっかけをつくった。

 もっとも、政子に義時への対抗心が芽生えたのは、当の義時から次のように申し出を受けたときだろう。義時は、頼朝が西(朝廷)とは一線を画していたのに、実朝はその遺志に反し、上皇の言いなりになっているとして、表から退いてもらうとひそかに政子に訴え出た。このまま実朝が西を第一とすれば、坂東の御家人すべてを敵に回し、頼家の二の舞になりかねないというのがその言い分だ。これを聞いて政子は「つまり、あなたの言うとおりにしなければ、いずれは実朝も頼家のようになると?」と問いただす。義時は「どう捉えようが結構です」と返し、「お許しいただけますね、尼御台」と釘を刺すのだった。ほとんど恫喝である。

政子の覚悟

 義時がそんなことを考えているとは知らず、当の実朝は、船が完成した暁には自分も宋に渡って、医王山からお釈迦様のお骨を持ち帰るつもりだと語り、そのときは泰時や妻の千世(加藤小夏)も連れて行くと、夢をふくらませていた。が、現実はそんなに甘くはなかった。船の建造のため負担を強いられた御家人たちから不満が出始めたのだ。

 実朝は、自分は父・頼朝とは違って何の苦労もなく鎌倉殿になったので、人心をつかむには功徳を積むよりないのだと、そのためにも船を完成させて医王山に行くつもりだった。これに対し、義時がここぞとばかり、上皇様にそそのかされてつくる船など必要ないと建造の中止を主張した。政子も、実朝が生き急いでるように思われ、ゆっくりと時をかけて立派な鎌倉殿になればよいのだとやんわりと諫める。

 自分の夢に水を浴びせかけられ、実朝は癇癪を起こし(このあたりがまだまだ未熟だが)、「もういい、船づくりは中止だ」とヤケになる。そこへ泰時が助け舟を出し(船の話だけに)、建造に協力した御家人たちの名を船の柱に記すことを提案する。そうすれば、船は鎌倉殿と御家人がともにつくりあげたものになるというのだ。実朝の守役ともいうべき三善康信(小林隆)も、義時たちに向かって必死になって頭を下げ、どうにか船の建造は続行される。

 実朝から逆ギレされ、政子はますます悩むことになる。もちろん実朝には好きなようにやらせてあげたいが、それが彼の命を縮めることになるのだとしたら……と自らの懸念を、そばにいた大江広元に告白した。ここで広元は、やはり頼朝を引き合いに出し、いまならあのお方は御子息にどうおっしゃるかとしみじみ言ったかと思うと、むろん義時にも一理があると断ったうえで、あとは政子の気持ちひとつだと決意を促す。

 そう言われ、自分はそんな大事を決められるようなおなごではないと政子は戸惑うが、広元は逃げてはならないと諭し、「頼朝様が世を去られてどれだけの月日が流れようと、あなたがその妻であったことに変わりはない。あのお方の思いを引き継ぎ、この鎌倉を引っ張っていくのはあなたなのです。逃げてはなりませぬ」と迫るのだった。先の丹後局の助言に続き、広元からそう言われては、政子も覚悟を決めるほかはなかった。

 船づくりは着々と進み、まもなく完成を迎えようとしていた。そんななか、義時が動く。由比ヶ浜で建造中の船のなかへ、夜になって弟の時房(瀬戸康史)と刺客のトウ(山本千尋)を潜り込ませ、工作させたのだ。おかげで船は完成したものの、あまりに重くなりすぎて、船体を何本もの丸太に乗せ、半裸になった八田知家をはじめ大勢の男たちが綱で引っ張って海へ運ぼうとしてもびくともしない。

 その様子を実朝や北条の人々と一緒にやぐらから眺めていた三善康信が、たまらず浜に駆け下り、年甲斐もなく綱を引く者たちに加勢したが、案の定、腰を痛めてしまった。ついには丸太が折れ、船は完全に動かなくなる。やはりやぐらにいた三浦義村(山本耕史)も力を貸そうとしたのか、着物を脱ぐがすでに遅く、無駄な裸に終わった。造船計画は失敗に終わり、実朝は呆然自失となる。そんな息子を、政子は黙って抱きしめるのだった。

 このあと、政子は改めて実朝を呼ぶと、「これくらいで挫けてどうするのですか」「自分の政がしたければもっと力をつけなさい。御家人たちが束になってかかっても跳ね返すだけの大きな力を」と発破をかけ、彼が鎌倉の揺るぎない主(あるじ)となるための策を授けるのだった。

 後日、実朝は、義時ら北条の者を集め、その策を発表する。それは、朝廷から高貴な血筋の者を養子にとって鎌倉殿の座を継がせ、実朝自身は大御所としてそれを支えるというものだった。もちろん、義時は猛反対するが、そこへ政子が「鎌倉殿の好きなようにやらせてあげましょう」と口を挟む。

 傍で聞いていた実衣(宮澤エマ)が「北条はどうなるのですか」と問い、義時も「鎌倉殿は源氏と北条の血を引く者が継いできました。これからもそうあるべきです」と負けじと反論するが、政子は「北条が何ですか。小四郎、あなたが言ったのですよ。『北条あっての鎌倉ではない。鎌倉あっての北条』と。まずは鎌倉のことを考えなさい」と、ほかならぬ義時の以前の発言を持ち出して論破する。これを受けて泰時も、「執権殿はご自分の思いどおりに事を動かしたいだけなのです。鎌倉は父上だけのものではない!」と援護射撃した。義時が黙り込むと、政子は実朝の策にゴーサインを出す。

 思いがけない展開に、憮然としながら廊下を歩く義時に、仲章が嬉々として、すでに鎌倉殿から話は聞いていると、早々に上皇様と相談してしかるべきお人を見つけたいと告げる。それを聞いて義時は「このままでは済まさん」と怒りをたぎらせた。そんな折、京で修業していた公暁(寛一郎)が鎌倉に戻ってくる――。

 公暁の帰還はその後に起きる事態を予感させ、緊張感を一気に高めたが、ラストは一転、伊豆に追放されて久しい北条時政(坂東彌十郎)のもとを、孫の泰時が、義時から預かった見舞いの品を持って訪ねるシーンで締めくくられた。このとき、泰時相手に時政が口にした「力を持つってしんどいな」との言葉は、義時や実朝がまさにいま実感していることだろう。

 時政の妻のりくは育った京に戻り、いまはサツキ(磯山さやか)という地元の女性が時政を世話してくれていた。足を痛めて、うまく歩けない時政は、畑から運んできたのだろうか里芋を道にいくつも落として、サツキに叱られる。が、それも何だかうれしそうである。

宿老たちの老い

 最後のカットでは、時政がこののち78年の生涯を閉じたとのナレーションがかぶせられた。ちなみに実際に時政が亡くなったのは、陳和卿が鎌倉にやって来る前年、建保3年(1215)1月のことである。『吾妻鏡』は、時政が死ぬ直前、腫れ物を患っていたと伝える。時政の後妻・牧の方(「りく」はこのドラマだけの名前)も、時政が死ぬまで伊豆にあったようだ。しかも義時や政子より長く生き、安貞元年(1227)には上洛して時政の十三回忌法要を公卿・殿上人を集めて挙行したことが、藤原定家の日記『明月記』に記されているという(野口実『北条時政――頼朝の父、近日の珍物か』ミネルヴァ書房)。

 実朝の進めた造船計画については従来、幕政から遠ざけられて失望した彼が、虚無感から日本脱出を図ったものとする説も根強かった。これに対し、ドラマの実朝は、宋に渡る夢を抱きつつも、それはけっして逃避願望からではなく、医王山から釈迦の遺骨(仏舎利)を持ち帰ることを目的にしていた。実際、宋の医王山は、仏舎利信仰の聖地であった。実朝はそれ以前より、宋に渡った経験を持つ高僧・栄西(臨済宗の開祖)より仏舎利信仰について教えを受けていた。栄西は医王山に参詣した経験を持つことから、実朝がその話を聞いた可能性は高いという(坂井孝一『源氏将軍断絶』PHP新書)。

 今回描かれたように結局、船は海に浮かばず、計画は失敗に終わるも、そもそも当時の由比ヶ浜は「由比ヶ浦」と呼ばれる遠浅の海で、巨大な船が出入りするには適さなかった。そのことは『吾妻鏡』にもちゃんと書かれている。ようするに計画の失敗は、完成した船そのものに原因があったわけではなかったのだ。この点は、ドラマでの描写はかなり違っていたが。

 ともあれ、劇中の実朝は慕っていた和田義盛を喪ったのち、これまでにない強い意志をもって、政治のイニシアチブをとろうとしている。その姿は痛々しくもあるが、従来の“文弱”な実朝のイメージが塗り替えられるような印象を抱くのもたしかだ。

 ドラマでは今回、宿老たちの老いもはっきりと描かれた。かつての13人の宿老で生き残った者のうち、義時の舅である二階堂行政(野仲イサオ)はすでに隠居し、大江広元は眼病を患い、八田知家も船を建造中、これを機に引退すると三善康信に明かしていた。劇中で広元が言っていたように、たしかに時代は確実に変わりつつある。そのなかで実朝は偉大なる父・頼朝を乗り越え、また義時の干渉も退けて、自らの手で新たな世をつくろうとしているわけだが、このあと彼のたどる運命を知っていると、やはりせつなくなる。

→『鎌倉殿の13人』他の回のレビューを読む

文/近藤正高 (こんどう・ まさたか)

ライター。1976年生まれ。ドラマを見ながら物語の背景などを深読みするのが大好き。著書に『タモリと戦後ニッポン』『ビートたけしと北野武』(いずれも講談社現代新書)などがある。

 

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