『希望のごはん』ができるまで~介護食に新風を吹き込んだ愛のstory<前編>

 2011年のある日、愛する夫、会社員のアキオさんに口腔底がんと食道がんが見つかった料理研究家のクリコさん。「私が彼を元気にして、会社に復帰させてみせる」と決意し、夫の命がかかっている切羽詰まった状況下、見た目も味も美味しい、アイデア豊かな介護ごはんを開発していく──。この夏上梓した『希望のごはん 夫の闘病を支えたおいしい介護食ストーリー』(日経BP社)には、「これが流動食!?」と夫を驚かせたレストランのような料理レシピと共に、夫の生きる力を食事で支えた過程が涙と笑いと愛情いっぱいに綴られている。そんなクリコさんに、初めて直面した介護食作りの苦労について聞いた。【全3回、前編】

 * * *

苦労の連続だった初めての介護食作り

──ご主人の介護食作りで、最初は悪戦苦闘されたとか

「ほとんど噛む機能が無くなった主人に、なんとか美味しく食事を食べてもらいたい一心でした。食べることが大好きだった主人にとって、思うように食べられなくなってしまったことは、大きなショックだったと思います。夫に体力を回復してもらうためにも、まずは、食欲をそそる流動食を作って、ただでさえしんどい食事のハードルを少しでも下げてあげたいと思いました。

 病院食は完成品を丸ごとミキサーにかけた流動食が中心で、見た目も、味も美味しいと感じられないものだったんです。入院中、主人の食が進まなかった理由は噛めないことだけではなく、見た目や味の問題が大きかったので、家では完成品を丸ごとミキサーにかける食事は出さないと決めました。主人が入院していた病院で、摂食嚥下障害看護認定看護師の方に退院後の介護食の助言を求めたら、『柔らかければ何でもいいですよ』とだけ言われたんです。当時は、介護食の本など手本になるものや情報が何もなかったので、本当に手探りでした」

――具体的にどんなことが大変だったでしょうか?

「まず、食材を主人が舌で潰せるぐらいの柔らかさにするのに、どのくらい加熱したらいいのかがわからなかったんです。おうどんを作るにも、茹でている間に何度も柔らかさを確かめて、他の具材も全て加熱時間は違いますし、ほうれん草は柔らかく茹でても繊維が残るので、叩いて細かくピュレ状にしないと食べられないなど、全てが試し試しで、一食を作るのにものすごく時間がかかったことが最初は大変でした」

――とにかく試行錯誤を重ねたと…

「食卓にお野菜の料理があると彩りで華やぐので、最低3つは野菜の料理を作ろうと思ったのですが、茹でてそれぞれをピュレ状にするのに、お野菜によってミキサーとフードプロセッサーのどちらを使ったらいいのかなど、野菜ごとに使う道具を把握するのにまた時間がかかりましたし、やっとピュレにしても、一手間、二手間調理して食卓に出すので、道具の壁と時間の壁で初めは試行錯誤でした。

 だんだん、よく食卓に上るお野菜がわかってきて、毎食ごとに作っていたピュレを一度に作って、小分け冷凍しておくと便利だと気づいたんです。たぶん離乳食作りの経験がある方にとってはごく当たり前のことが、私は子育てしたことがなかったのでしばらく気づかなかったんですね。小分け冷凍したピュレはものすごく使い勝手がいいとわかってから、介護食作りが楽しくなりました」

“運命のクリームシチュー”が完成して

 クリコさんは、試行錯誤の末、ご主人の好きな料理のひとつで美味しそうな見た目を残して流動食を作ることに成功する。この料理が、クリコさんの介護食作りの突破口を開いたという。

――介護食作りの行き詰まり解消のきっかけになったお料理があるそうですね。

「突破口を開いたのが『鮭のクリームシチュー』でした。

 摂食嚥下のプロセスで、食べ物を口の中に入れて、噛み砕いて唾液と混ぜ合わせて喉の奥に送り込んで、飲み込みやすいひと塊にする、これを「食塊(しょっかい)」と言いますが、そのときに『噛みやすい、飲み込みやすい、食塊になりやすい』という3つのポイントがあるんですね。

 ごはんを一口食べるのに、人は丸呑みせず、咀嚼して唾液と混ぜ合わせて、少しずつ何回かにわけて飲み込んでいるので、飲み込みやすい形にすることがすごく重要なんですが、言葉で聞いてもよくわからなかったんです。

 それが、鮭のクリームシチューを作ったときに、ようやくわかったんです。主人がパッと見て具がわかるギリギリのサイズまで野菜を切って、それを舌で潰せる柔らかさまでスープで煮てホワイトソースを入れて、メイン食材には脂の乗ったハラスを使って、加熱しすぎず作る。“トロッとして噛みやすいっていうのはこういうことか”って。

 野菜も小さく切ってクタクタに茹でることで噛みやすく、飲み込みやすく、しかも食塊にするのに、ホワイトソースのとろみが助けになっている。今までわからなかった3つのポイントが、その時に“腑に落ちた”んです。そこから視界が開けて、レシピが増えていきました」

──「鮭のクリームシチュー」をご主人が召し上がった時の感想はいかがでしたか?

「ひと口食べると、『美味しい』と嬉しそうに笑ってくれました。『今日のごはんは九十点!もっと美味しい時のために満点はとっておくね』とすごく喜んでくれたので、私もモチベーションが一気に上がりました。

 それから、どうにかして大好きなすき焼きを食べさせてあげたくて、試しに、牛肉をさっと焼き、すき焼きのタレを多めにからめて粗めにミキサーにかけ、とろみをつけてみたら、これが大好評。ひと口食べ、『おおおおお!』と声をあげて一気に食べてくれたので、わが家の定番メニューになりました」

 ようやくご主人の口に合って、見た目も美味しそうで、しかもバリエーションを増やせる“介護食攻略法”が見つけたクリコさん。苦戦続きだった介護食作りが楽しいものに変わり、次々といろいろな調理方法や組み合わせのアイデアが浮かんだという。次回は、介護食を作る際に気をつけなければいけない誤嚥や窒息を防ぐ工夫など、材料選びや調理法などのアドバイス伺う。

【中編】に続く

→中編を読む

クリコ

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本名、保森千枝。料理研究家・介護食アドバイザー。大手IT企業の広報として勤務中に夫・アキオと出会い結婚・退職。夫の勧めで始めた料理教室が好評に。その後、口腔底がんが発覚し、噛む力を失った彼のために「味が良く、見た目も美味しそうな介護食」作りのノウハウを確立して夫を支え、職場復帰も実現させる。

「クリコ流ひとりひとりの介護ごはん」(http://curiko-kaigo-gohan.com/ )で新作レシピを掲載中。
ベネッセの介護相談室「クリコ流介護ごはん」(https://kaigo-sodanshitsu.jp/recipe/)では、総合監修を担当。介護に関する情報やレシピを発信している。
『希望のごはん』掲載全レシピをクックパッド(https://cookpad.com/kitchen/13834288)で公開中。

撮影/浅野剛(人物)、クリコさん(料理写真)

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