連載

【連載エッセイ】介護という旅の途中に「第12回 房総半島、台風15号」

 写真家でハーバリストとしても活躍する飯田裕子さんによる、フォトエッセイ。

 認知症の症状がある母は、千葉の勝浦で1人住まい。飯田さんは、南房総の自宅から母の元へ通いながら支えている日々だ。そして、このたび、台風15号は飯田さん母娘の生活にも甚大な影響をもたらし…。

 * * *

 台風15号が房総半島を襲い猛威をふるった。

 母は勝浦、私は南房総に住まいがある。現在、母も私も“通常の暮らし”、すなわち電気も水も、ありがたく使える暮らしに戻った。

 しかし、内房近隣の傷跡はまだ生々しく、心が痛む。勝浦での被害は内房ほどではなかったが、それでも台風が直撃した直後から、勝浦の家では5日間停電した。水が出たことは幸いだったといえる。

台風直後にタヒチから帰国

 台風15号は9月9日の夜中に房総半島の東京湾沿いを通過した。

 屋根の瓦は吹き飛ばされ、巻き上げられ、家々のガラスをぶち破った。壊れた窓からあっという間に突風が入り、また屋根を吹き飛ばした。

 まるで巨大な龍がのたうちまわったかのように、山の木々はなぎ倒され、電線も電柱も、送電線の鉄柱すら破壊していった。夜の闇と雨とで、肉眼で確認することはできなかったそうだが竜巻のようなものが数か所で起きたらしい。地元の方から聞く限り、このような惨事は100年を振り返ってもこの地域には伝承すらなかったということだ。

 実は、台風が房総を通過している頃、私はタヒチでの取材を終え、太平洋上を成田へと飛行している最中だった。だから、実際には台風15号の直撃を体験していない。

 タヒチ離島のバンガローでは、日本の天気情報は遠いものだった。

 成田に定刻通り到着した9月9日の午後2時半過ぎは、すでに太陽が顔を出していたので、機内から台風のイメージすらわからなかった。しかし、入国審査を終え、一歩外に出てみると、立ち往生している人で空港はカオス状態だった。電車も不通だという。そこで初めて事の重大さに気付いたのだ。

 あわてて、すぐに母の家に電話を入れたが、通じない。何度かけても同じだった。

 勝浦の別荘地は、管理センターはあるが見守りをしてくれるわけではない。その日はヘルパーさんが来る日だったのが、少し安心材料だったが、隣の家もご主人がいたりいなかったり。

 母は認知症のため携帯電話を使うことが難しくなり、今年の初めに解約したことが悔やまれたが、もしあったとしても使い方もわからないだろう。

 そこで、勝浦で時々母のところへ来てくださる地元のMさんの携帯に連絡を入れた。携帯が繋がりホッとする。

 Mさんはもともと耳鼻科の看護師さんをされていた人だ。ある時、官軍塚という景勝地を母と一緒に散歩していた時に偶然出会い、それから母のところへ、遊びがてら訪ねてくれるお付き合いが始まった。漁師さんの娘ということで、春にはワカメ、夏には伊勢海老を、また手作りした寒天を持って来てくださる。海難事故でレスキューに出動した話など、母にとっては初めて接する未知なる海の世界の話を持ってきてくれる心温かな女性だ。

「昨夜すごい台風でね。飯田さんお母様どうしてるだろう?って主人とも話していたところ。行ってあげるから」

 と電話口の心強い声でひと安心。

 私は無事に成田に着き、遅くなっても勝浦へ向かう、と母に伝えてもらう。そして停電が発生しているというので、懐中電灯の場所をお伝えした。

 停電になると、家の固定電話も使えないどころか、市の福祉課で導入したALSOKの見守りと緊急レスキューボタンも機能しないのだ。

 災害がある時こそ緊急のはずなのに、肝心な時には使えない。やはり自分が母の元へ行くしか手立てはない。

 混沌とした成田を脱出すべく車を停めておいた駐車場へ電話を入れてみたが、やはり通じない。

 とりあえず、送迎バスの来るいつもの場所へ行って少し待つと、バスがやってきた。しかし、空港近辺の信号も全て消え、そのために大渋滞だ。

 ようやく自分の車へたどり着き、携帯の電源を車から確保した。そしてラジオのニュースをつけてみたが、台風による停電の話はするが、どの局も災害としては報じていない。

 成田周辺では、全ての信号機も止まっているのに、警察官や自衛隊の姿も見当たらない。これは非常事態ではないのだろうか?と疑問がよぎる。

 成田に通じる高速道路は、全面通行止めなので、勝浦までの一般道での道筋を考える。成田から東へ進み、九十九里海岸へ出てひたすら南下が良いだろう。道路が破壊されているわけではないだろうから大丈夫!と信じ、ゆっくりと走り出した。

 日も暮れ、信号も道の灯りも停電で暗い。まるで世紀末のようだ。途中、コンビニが1軒開いていたが商品はほぼない。水が2本だけ残っていたので、それとシリアルを購入。ようやく開いているガソリンスタンドも見つけ、給油をした。

 電気、水道が止まったままだとしたら…と考え、母の家にある食料や調理用コンロの場所を思い出しながら運転。結局、家に着いたのは午後9時近かった。

意外と落ち着いていた母

 車のヘッドライトを闇に照らし、クラクションを鳴らし帰宅を知らせると、犬のナナの鳴き声とともに、懐中電灯を持った母が出てきた。

「さっきMさんが、サザエの炊き込みおにぎりを持ってきてくれたの~」と意外と呑気な第一声。

「昨夜の台風、怖かったでしょう?」
「それがね~、ぐっすり寝てて。ナナも吠えなかったし、夜中に2回もトイレに起きたのに知らなかったのよ。朝、テレビがつかないし、冷蔵庫が暗い、それであれ?って」

 と驚きの反応であった。

 そして「まるで戦時中みたいね、空襲がないだけで」と。やはり昭和一桁生まれは強い。とひと安心した。

 停電で、冷蔵庫もIHコンロも使えなかったが、水道は止まっていなかった。

 その夜は、冷蔵庫内の食品で早く火を入れたほうがいいものを、カセットコンロで調理し、万が一の断水に備えお風呂一杯に水をため、蒸し暑い月夜に水浴びをした。

 母が「だいたい今頃いつも寝ちゃうから、おやすみなさい」とベッドへ向かったので、私は帰国後すぐの非常事態に熱くなっていた頭を冷やしに庭に出た。

 犬のナナは久々の再会にはしゃいでいる。月の灯りが雲間から出てきた。ここにヤシの木があれば、数時間前までいたタヒチの夜の続きのようだった。秋の虫の音を聞きながら月の光を浴び、しばし文明について考えた。

 画家のゴーギャンは、文明化し人間本来が持っていたはずの野生美から切り離されてゆく様に失望し、本当の美と芸術を求め、パリに別れを告げタヒチへと旅立ったという。

 最後はタヒチの中でも、さらに今も秘境とされるマルケサス諸島のヒバオア島でその生涯を閉じた。

《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》

 ゴーギャンの有名な絵画の問いにまだ答えは出ていない。

 日本は近年、オール電化の暮らしが推奨されてきた。温暖化の原因である二酸化炭素を削減するために、エネルギーは電気が一番という理由もある。

 停電して改めて、生活がほぼ電気に頼っていることに気付かされる。母がなにより頼りにしている電子レンジも電気が通じなければただの鉄の塊でしかない。カセットコンロの燃料も在庫がなくなった時に、車のガソリンが切れていたら使えない。そうなったら、庭の倒木を薪にして調理することになるのか…などなど考える。結局はシンプルな野生の力が命を保証してくれるのだ。

 タヒチの秘境から帰ってきてすぐだったこともあり、自然が多くのことを示唆してくれるという事実により気付きがあった。

旅の多い仕事で身に付いた環境変化への適応力

 今回は、9月とはえ、まだ夏のような気候だったこともある意味幸いした。

 冷房の代わりに、長岡花火大会でもらった団扇を重宝し、母は昔持っていた扇子を出してきた。そして、その扇子を使っていた祖母の話や、昭和戦前の神田の夏の話などに花が咲いた。

「金魚~やきんぎょ~。風鈴売りも来たね。庭にタライを出して昼に行水したり」
「そうね。夜は暗いから今、行水しよう!」
「水で髪洗ったの初めてだけど、スッキリする」と母。

 私は辺境地の旅を多くしてきたので、水洗髪どころか、コップ1杯の水でも工夫できる。旅という英語の意味は、トラベル。その語源がトラブル(災難)にあるだけあり、旅人は災害に強いかもしれない。私の臨機応変な環境変化への適応力は旅で鍛えられたにちがいない。

 テレビもラジオもなく、Wi-Fiも、携帯も繋がらない。唯一の動力、車が頼りだ。車で電波状況の良い場所へ行く。しかし、情報はほぼない。

 東京で恩師の100年記念写真展のオープニングという大事な用事があり、一回車で東京へ向かってみたが、途中の山道は全て通行止め、電車もストップしたままという状況だったため、結局、勝浦へ引き返した。

 実際、この状況下で母を家に1人残すわけには行かなかった。停電が解消し、通常の生活に戻るまでは、母と勝浦にいることを覚悟する。

 幸い勝浦の市街地は、電気もすぐ復旧し、店も開いた。御宿では、何事もなかったようにホテルも営業していた。

 2日目になり、房総の友人からSNS経由でメッセージが来た。それによると、内房の我が家の地区の被害が大きいらしい。自分の部屋が心配なので、地元の知人に連絡を取りたかったが、繋がらない。

 タヒチから帰国したあと、仕事に取りかかれないままだし、さまざまな不安を胸に抱きながらも、とりあえず、母は体調もよく無事。私も心身共に無事。まずは、それだけよしとし、右往左往はやめておくことにした。

地域に開放されたホテルのお風呂に浸かり

「もしパパがいたらどうだっただろうね?」と母。

 在宅で使用していた酸素の機械は、停電したら作動しないので、病院行きだったかな…と想像する。実際、鴨川のK病院では、想像を絶するような緊急態勢だったそうだ。そして、そのような状況下でも、電源を提供したり、給水したりと地域支援にも力を入れていると聞いた。

 勝浦のホテル三日月のお風呂が解放されていると聞き、3日目にお世話になった。

 太平洋を眼下に眺め、海は平穏で漁船も伊勢海老漁の最中で操業していた。

「こんなことでもなかったら、このお風呂に入ることもなかったね」と、黄金風呂に身を沈め母は気持ちよさそうだった。

停電時の知恵と工夫

 夜になるとカセットコンロで鍋を使いご飯を炊いた。私は炊飯用土鍋の取材がきっかけで、直火で炊くご飯の美味しさの虜になった時期があった。時間も電気炊飯器では、40分かかるのに対して、15分もあれば炊ける。そんな経験が災害時の役に立った。災害下の暗闇の中だがご飯はやけに美味しい。

 要冷蔵の加工調味料は便利ではあるが、こんな時は捨てるしかなかった。結局、天然の塩、砂糖、醤油、酢、味噌、梅干し、といったシンプルな調味料が、冷蔵庫なしでも保存できて役に立つ。鰹節や塩昆布、高野豆腐、ヒジキ、ワカメなどの乾物も助かった。

 冷凍庫のスペースに、ミニペットボトルを凍らせたり、保冷剤を入れておいたので、4日ほど冷蔵庫の役目を果たしてくれた。冷凍しておいた干物は焼いて、酢をかけマリネにしたり、お肉は味噌に漬けたり、梅干しで煮たり…。野菜も塩やオイル漬けにした。

 庭の土も役に立った。生ゴミは山際の土を掘って埋めれば、土壌バクテリアが分解してくれる。もし水道も止まりトイレが流れなくなったら、簡易トイレを使い、土を分解に使おう…などなど、このような生活が長引いた場合のこともシミュレーションもしてみた。

5日間停電していたことを忘れた母

 復旧がいつになるか見えないままの停電だったが、5日目の夜中2時、ようやく電気が灯った!

 すると母が寝ぼけて起きてきて、第一声。

「なんでこんな夜中に電気つけたままにして!!」と私を叱ったのだ(笑い)。

「ママ、停電してたんだよ~」
「ああ。そうだった……?」

 5日にもわたる停電をケロッと忘れられる、ある意味、気楽さ。“母はますます強し”、と感じた災害でもあった。

自然の猛威。そして、母のこれからへの不安

 南房総の私の自宅周辺では、より大きな被害があった。

屋根が飛ばされてしまった家屋とビニールシートのかかった家屋

「小さな竜巻が何箇所も起きたのではないか?太いタンカンが直角に折れ、それを見た時は驚きの声すら出なかった」

 そう話す近隣の友人の家の屋根にはブルーシートがかけられ、しかし、本格的な修理は工務店の混雑と人手不足でいつになるかわからないという。

 広域で、甚大な被害をもたらした台風の傷は深い。そして、今後も自然災害はいつ起こるともわからない。

 そう思うと、母が勝浦で1人で暮らすことの難しさは、急に現実的になってきた。

(つづく)

写真・文/飯田裕子(いいだ・ゆうこ)

写真家・ハーバリスト。1960年東京生まれ、船橋育ち。現在は南房総を拠点に複数の地で暮らす。雑誌の取材などで、全国、世界各地を撮影して巡る。写真展「楽園創生」(京都ロンドクレアント)、「Bula Fiji」(フジフイルムフォトサロン)などを開催。近年は撮影と並行し、ハーバリストとしても活動中。Gardenstudio.jp(https://www.facebook.com/gardenstudiojp/?pnref=lhc)代表。

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