数字がヒデキの偉大さを証明している──。5月16日、歌手の西城秀樹さんが63歳で死去した。1970年代のトップスターであり、亡くなる1か月前までステージに立ち続けた西城さんを追悼する声は後を絶たない。
『新御三家』の仲間である郷ひろみや野口五郎、同じ事務所に所属した岩崎宏美や河合奈保子だけでなく、1980年代のトップアイドルである近藤真彦からも「若い頃に、良いことも悪いことも教わり、いろいろなところに連れて行ってもらいました。楽しい思い出ばかりです」とコメントが発表されるなど人望の厚さをうかがわせた。
当時は新旧アイドルが音楽番組だけでなく、『ヤンヤン歌うスタジオ』(テレビ東京系)などで一緒にコントを演じるなど毎日のように共演していた。芸能記者が話す。
「『ザ・ベストテン』(TBS系)、『ザ・トップテン』(日本テレビ系)などの歌番組で人気が“数値化”されてしまうなかで、新しいスターが生まれるとそれまでトップを走っていたスターが順位のうえでは抜かれてしまいます。
新星に抜かれたとき、秀樹さんにも内心忸怩たる思いがあってもおかしくない。それでも、ライバル視して遠ざけるどころか、プライベートでも交流があった。裏を返せば、それだけ自分に自信があったということでしょう」
たしかに『新御三家』は別格だった。当時、人気の指標だった芸能誌『平凡』『明星』の表紙回数を見れば一目瞭然だ。
「1970年代の10年間、『平凡』は郷ひろみ27回、西城秀樹22回、野口五郎17回、『明星』は郷ひろみ29回、野口五郎15回、西城秀樹13回と3人がベスト3を独占。ともに4位のにしきのあきらはそれぞれ6回、7回ですから、『新御三家』が圧倒的な人気を誇っていた。1970年代、3人の2誌の表紙占有率は50%に迫る勢いです」(同前)