五輪組織委会長だった森喜朗氏は「女性がたくさんいる理事会は時間がかかる」と発言して辞任に追い込まれる(写真/共同通信社)
まずは「建前」を変化させる
ただ、いくら女性を容姿でランク付けしてはいけないと説かれても、心の中で美人かどうか“評価”することまでは、なかなか止められない。
上野氏も「オジサンの腹の中は死ぬまで変わらないでしょうね」と認めたうえで、男性たちにこう釘を刺す。
「私は社会の変革というのは、本音の変化ではなく建前の変化が重要だと思っています。オジサンの下心とか、人間の卑劣さというのはいつの時代もどこにだって存在するけれど、少なくとも公共の場でそういうことを言ったら地雷を踏むということは肝に銘じてほしい。男は時代の変化に合わせて自分をアップデートしなければ、自分が不利益を被ることになります」
女性の容姿に全く触れないとなると、同僚や友人とどんな話をしたらいいのか。「これはセクハラかも」「ルッキズムと言われるのでは」と怯えていては、日常会話もままならない……。
そんなふうにコミュニケーションが取りづらくなることを危惧する声にはこう応じる。
「若い女の子たちからも、そういうことはしょっちゅう言われます。バイト先などでおニイさんやオジサンたちが口をきくのに神経を使って、職場がピリピリしてしまう、とか。でも、もし彼らが神経を使わなくなったら何が起きるのか。オジサンたちからすれ違いざまにお尻や胸を触られるなんてことがずっと続くことになります。そんな職場で女性は働きたいと思いますか?
1989年に『セクハラ』が流行語大賞になった時に男性週刊誌は堂々と“セクハラは職場の潤滑油”“(だからなくなったら)職場がギスギスする”みたいな記事を載せていました。『週刊ポスト』にもあったはずです(笑)。それに比べれば、セクハラがアウトになったのは大きな進歩。気を使って職場がピリピリするくらいが、ちょうどいいんです」