【書評】『宿命の子 笹川一族の神話』高山文彦・著/小学館/2500円+税
競艇の創設に尽力し「日本のドン」の汚名を背負った故・笹川良一氏と、ハンセン病制圧を中心とした慈善事業を担う三男の笹川陽平・日本財団会長の、父と子の物語を描いた作家・高山文彦氏の『宿命の子 笹川一族の神話』。『週刊読書人』(2015年5月22日号)に掲載された御厨貴氏(政治学者・東京大学名誉教授)による書評を全文掲載する。
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◆セルフメイドマンの宿命 日本人の一類型を改めて発見
本書の主人公・笹川陽平は旧知の人である。今を去ること二十年前、私は笹川陽平から父・笹川良一の「巣鴨日記」の学術的分析と公開を依頼されていた。本書にも書かれている通り、当時の笹川良一はアンタッチャブルな存在であった。亡くなったばかりのその人の日記だから後難を避けるため断わるのがあたりまえだったかもしれぬ。だが私は、好奇心のなせる業か「巣鴨日記」の素材の面白さと広がりとから、これは学術的利用に堪える一級資料と判断し、「中央公論」誌上で公開し解題を書いた。後に単行本にもなった。
そこでの笹川良一のイメージを、セルフメイドマンと私は名づけた。説明や言葉や論理を必要としない世界があり、睨みをきかせる人物の押し出しが皆を納得させるタイプである。セルフメイドマンは存在そのものに価値がある。戦前はそれでよかった。しかし戦後デモクラシーの中で、セルフメイドマンはおよそ一般の理解の外にあり、時と場合によってはあってはならぬモノと断罪されてしまう。
本書の著者は、良一の三男・陽平とその周辺への徹底的なインタヴュー取材を通して、陽平を介して良一及び笹川一族を描き出そうとする方法をとる。語るべき素材はすべて笹川の側にあるのだから、そことの距離感をどうとるか、本書の中にても随所で触れられているが、著者は大変だったと思う。しかし手ざわりの感覚で表現される陽平の姿は、かつて私が、良一の日記を分析するにあたり、同じく陽平のインタヴューを行った際の印象を、確実に記憶の中によみがえらせた。私の師にあたる佐藤誠三郎や伊藤隆が、彼等の晩年に笹川良一の全体像の解読に魅せられたのには、同様の印象があったからではないかと思う。
すわなち、良一にも陽平にもどこか一般人とは異なる感性があって、それを隠すことなく周囲に、さらしているのだ。良一の場合はまさにセルフメイドマンだ。だから世評は一切気にせず微動だにしない。家庭的には本書に見られるように、一見奔放な女性関係が家族関係をややこしくするのだがこれまた隠そうともしない。三人の息子との関係も、普通の親子関係とは随分と違う。そこには愛憎劇も無論あるのだが、長期的にはむしろ淡々とした人間関係が破綻することもなく続く。端的に言って、セルフメイドマンの子供たちは、また彼等なりに知らず知らずセルフメイドマン二世の道を各々切り拓いていった。
良一と言えば、戦後は日本船舶振興会、今の日本財団の生みの親であり育ての親であった。一九八五年頃から亡くなる九五年前後までの十年間、笹川の支配する船舶振興会の運営をめぐって、内に外に対立抗争がくり広げられた。メディアをおどろおどろしい記事が飾ったことは、今も鮮明に覚えている。この間の危機管理を担い、今のような落ち着き所に持っていったのが陽平その人であった。本書の後半部はすべてこの話に尽きる。
良一譲りの説明なく行動で見せるやり方ではもはやありえない。幼い頃から良一とは、無関係の時、斜めの関係の時、緊張関係の時がくり返された陽平にとって、セルフメイドマンとしての父の毀誉褒貶をすべて受け入れた上で、危機を乗りこえることが出来たのだと思う。ハンセン氏病の撲滅から多方面に広がりゆく財団の活動のユニークさを表象し、年をとっても若い人顔負けの体力と行動力に賭ける。こういった特性すべてを、陽平は良一のセルフメイドマンたる強烈な個性を、一度遠くに置いて客観的視座を確保した上で、自らの行動規範にしているのだ。その点を現すためにこそ、著者は陽平を「宿命の子」と呼ぶわけである。
本書は、陽平のインタヴュー録を絶妙に引用しつつ、ノンフィクション作家としての著者得意のエピソードの展開とをうまく融合している。だから七〇〇頁近くの大部の本にもかかわらず、一挙に読み通せるのだ。かくてセルフメイドマンの個性とその限界と、セルフメイドマン二世の遺産継承とその展開とを、クロスさせて見る時、今やめずらしくなった日本人の一類型を改めて発見した思いがする。