歴史の教科書をひらけば、定番の肖像画が並び、いつもの顔に落書きを加えた人も多いだろう。だが、最近の数年の間に、長らく教科書にはおなじみだった歴史上の人物の肖像画が姿を消しているのだ。いったいなぜなのか。
冠をかぶり、口ひげをたくわえた凜々しい肖像画──。言わずもがな小中学校の授業で、鎌倉幕府を開いた〈源頼朝〉だと教えられた人物である。しかし、今ではこの男は“頼朝になりすました別人”との説が有力視され、教科書からも姿を消しつつある。
その理由について教科書出版社・東京書籍の社会編集部の編集者に解説してもらった。
「以前使用されていた源頼朝の肖像画は、京都の神護寺所蔵の源頼朝だと伝えられてきたものです。ところがこの肖像画の人物は今では歴史学者の研究によって、頼朝ではなく足利尊氏の弟の足利直義(ただよし)とする説が有力になりました」
東京書籍の小学生向け『新しい社会 6上』では、この肖像画に代わり鎌倉の鶴岡八幡宮に伝えられた「伝源頼朝坐像」を源頼朝として掲載している。その姿はだいぶふっくらし、我々の慣れ親しんだ頼朝とは全くの別人だ。
別人と判明した人物は源頼朝だけではない。黒い馬を颯爽と駆り、刀を肩に担いだ〈足利尊氏〉も別人だという。
「肖像画の人物は、描かれている家紋から足利尊氏とは別人だといわれ、尊氏の側近だった高師直(こうのもろなお)説などが挙げられています」(同前)
現在、足利尊氏として肖像画を掲載する教科書はほぼなく、ただの「騎馬武者像」として紹介されているのみ。
禿頭でひげを蓄えた戦国武将・〈武田信玄〉(高野山霊宝館所蔵)も傍らの刀の家紋が武田家のものと違うことから別人だとされている。肖像画を見て「鎌倉幕府の源頼朝」「室町幕府の足利尊氏」と覚えたものは間違いだったのだ。
※SAPIO2014年12月号