【書評】『命をつないだ道 東北・国道45号線をゆく』(稲泉連/新潮社/1575円)
【評者】関川夏央(作家)
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稲泉連が気仙沼を訪れたのは、大震災の一か月後である。惨状は息をのむばかりだった。だが被災地を移動するうち、瓦礫に覆われ尽くした沿岸部に「車の通れる一本の道だけがいつも線のように通っていて、町と町とを確かにつないでいること」に強い印象を受けた。
それは青森から仙台につづく海岸の国道45号線だった。破壊された道がどのように「啓開」され、復旧したのか著者は知りたく思った。
災害直後は、助かった誰もが思考停止の状況だった。携帯を含め、外部との連絡は断たれた。それでも道路を車が通れるようにしなくては、復旧どころか行方不明者の捜索も被災者救援もできない。ことは急を要した。国や県の依頼業者は津波警報発令中は作業を行なうことができない。
「これはもう仕事ではねえ、人としてやんなきゃなんねえことなんだ」
最初に着手したのは地元の小さな建設業者などだった。そんな動きは、被災各地で自然に起こった。釜石では、内陸部と結ぶ県道35号から海岸を走る高架の三陸自動車道への取り付け道路が彼らの自発的な共同作業で建設され、三月一三日朝、完成した。このようにして海岸を走る国道はつながりはじめ、やがて内陸からの道路と連絡した。
この本を読みながらつい泣いてしまうのは、そこに行政官、自衛隊、機動隊、消防隊の責任感と能力と献身のほか、「郷土を守ろうとした地元の人々の強い意識」がつたわるからだ。「想定外」という言葉を一度も使わぬ「普通の人々」が「すべきことを粛々と行なう」姿に感動するからだ。これがある限り日本は大丈夫と思われてくるからだ。
かつて、稲泉連の二六歳の仕事『ぼくもいくさに征くのだけれど』を熟読する機会があった。それは十分によい本だった。だが七年後のこの作品は、書き手としての著しい成長を感じさせ、それも私の喜びであった。
※週刊ポスト2012年6月1日号