2019年にラグビーW杯が日本で開催されることもあり、盛り上がるラグビー界だが、4大会連続でW杯での白星がない日本代表を変えるため、2007年1月にジャパンの指揮を執ることになったのが、元オールブラックスのスーパースターのジョン・カーワン(JK)だった。
「勝利」という結果を求めたJKは、就任年に行なわれたW杯で奇策に出る。予選プール3位以内(次回W杯で予選免除)を目指し、主力とリザーブとの2チームに分けるツープラトン方式を採用したのだ。強豪の豪州戦とウェールズ戦は“捨てゲーム”としてリザーブ主体で戦い、フィジーとカナダに確実に2勝する作戦である。
だが、結果はフィジーにも敗れ3連敗。最終戦のカナダにロスタイムに追いついて、引き分けに持ち込むのが精一杯だった。
続く2011年のW杯でも、2勝を目標としたJKは、再びツープラトン方式を採用した。ニュージーランド(NZ)戦では主力を温存し、初戦のフランス戦から10人を入れ替え。トンガ戦とカナダ戦での勝利を優先した。
フランス戦では一時4点差まで詰め寄る善戦を見せたが、NZ戦では7─83という会場から失笑が漏れる惨敗を喫し、ファンの間では「ハミルトンの失笑」と呼ばれる汚点になった。トンガにもミスを連発して完敗。カナダ戦に引き分けて3敗1分となったのが唯一の救いだった。大会後、JKの解任が決まった。
ラグビー批評家の中尾亘孝氏が語る。
「日本のラグビーファンの期待を大きく裏切るものだった。JKは大男が好きという一貫性はあったが、コーチとしての考えには一貫性はなかった」
JKが就任直後に掲げたのは、日本人の俊敏性を生かした「世界一低く速いラグビー」のはずだったが、敗戦を重ねるごとにチームは大型化が進み、NZやトンガなど、南半球生まれの選手たちに頼った編成に変わっていった(※注)。2007年のW杯では、最終登録の外国人選手は5人だったが、2011年には倍の10人になっていた。
「JKはNZスタンダードをそのまま取り入れ、すべての判断基準がそこにあった。日本ラグビーのレベルがひどく低く見えていたのか、退任の挨拶で“結果が出なかったがレベルアップした”と話したのが印象的でしたね。結局、“彼なら何とかしてくれる”という期待を持たせるのだけはうまかった」(中尾氏)
(※注)ラグビー・ナショナルチーム選出条件
【1】本人がその国・地域で出生したこと、【2】両親および祖父母のうち少なくとも1人が、その国・地域で出生したこと、【3】その国・地域に36か月以上継続して居住し続けていること。この【1】~【3】の条件のうち、いずれか1つを満たす場合に代表選手として選出される資格を持つ。その際は保持する国籍と、代表チームの国が異なっても問題はない。
※週刊ポスト2012年12月7日号