【書評】『出雲と大和 古代国家の原像をたずねて』村井康彦/岩波新書/882円
【評者】井上章一(国際日本文化研究センター教授)
磐座とよばれる信仰の場がある。巨大な岩を神としてまつり、うやまうところである。今は付近に祠や社が、たいていもうけられている。だが、もともとは岩そのものだけが、信仰の対象となっていた。奈良の三輪山に、われわれはその名残りを見てとることができる。ここでは、山じたいと山中の巨石が神だとされている。そして、いまだに神社の本殿は、いとなまれていない。
さて、日本の神話には、国譲りの物語がある。出雲の神が、自分たちの国を、天孫たちにあけわたす。そのかわり、自分たちのすまいも、天孫の館と同じように大きく立派に、こしらえてほしい。それさえたててくれるのなら、国はてばなそう。以上のような条件をつけて、出雲の神は隠棲した。この要請を天孫たちがうけいれてできたのが出雲大社だと、神話にはしるされている。
出雲の神は、神社の社殿をもうける習慣を、もっていなかった。いっぽう、天孫たちには大がかりな社殿をいとなむ技や巧みが、そなわっている。神社史の進化論を考えれば、天孫たちのほうがすすんでいた。出雲はおくれた水準にいたことを、神話は語っている。
著者は、山陰地方から畿内にのこる出雲系の神社を、たずねあるいた。そして、それらがみな磐座の形をとどめていることに、光をあてている。社殿以前の信仰がしのべる出雲系の神社が、島根から奈良へと、つづいていく。その様子から、かつての出雲がおさめていた勢力圏を、うかびあがらせた。やはり出雲系と考えられる四隅突出墓の分布も、その傍証としてそえながら。奈良の三輪山も、出雲勢の痕跡をとどめる聖地として位置づけている。
そのうえで、著者は大和盆地でくりひろげられた王朝交替劇も、読みとった。磐座と四隅突出墓の勢力が、社殿と前方後円墳をこしらえられる勢力に、おいおとされたのだ、と。邪馬台国と初期大和王権の歴史が、まったく新しい見取図で浮上する。刺激的な歴史紀行の読みものである。
※週刊ポスト2013年4月5日号