昨年、惜しまれながら休刊してしまった野球雑誌『野球小僧』(白夜書房)。名物企画「俺に訊くな!」は一芸に秀でたプロ野球選手に、得意分野とは真逆の質問を投げ掛けるこの企画を復活させて頂き、昨年まで中日で投手コーチをつとめた権藤博氏(74)に「選手寿命の延ばし方」を聞いた。
ルーキーイヤーの1961年に35勝を挙げ、権藤氏は新人王に輝いた。セ・リーグ最多の69試合、429回3分の1の投球回。翌年も61試合に登板し、「権藤、権藤、雨、権藤」なる言葉も生まれた。だが、デビューが華々しければ散るのもまた早い。
実働5年で、1968年に引退。そんな権藤氏に、不躾ながら2年間の登板過多が選手寿命を縮めたのではないか、と訊ねた。
「誰かが手を差し出したからといって、選手寿命は延びるようなものでありませんよ」
権藤氏は当時の監督を批判することなく、いたって冷静に話した。むしろ怪我をしないように慎重に起用することは選手にとってプラスではないと語るのだ。
「我慢して使ってあげることが監督には必要なんです。例えば中5日も6日ももらった投手が先発して100球投げたとする。そこで3点取られたといって簡単に降板させてしまったならば育つものも育たない。そこで交代させたからといって、選手寿命が守られるというものでもないんですよ」
我慢して起用し続けることが選手寿命を延ばす。権藤氏だからこその論である。
「自分の場合、1~2年目に30勝を挙げられたのは気持ちよくプレーさせてもらえたから。ところが3年目になるとちょっと打たれるとすぐ交代させられるようになった。抑えようとするあまり、ピッチングに無理が生じるようになり10勝どまり。4年目からは勝てないから余計に無理をするので体を痛めてしまった。
結局、短命で終わったのは登板過多が原因ではない。気持ちよく投げることができなくなったからです」
コーチに就任してからの権藤氏は、いかに気分よく投げさせるかだけを考え、投手をマウンドに送ったという。中日の投手コーチだった昨年を振り返る。
「昨年、田島(慎二)が中継ぎとして大車輪の活躍をしていたのも中継ぎ投手陣に山井(大介)らが控えていたから。田島にしてもフレッシュな気持ちで打者に臨めたと思う。ある程度の失敗には目を瞑って使い続けた。ところが今年は、実績ある中継ぎ以外に新たな投手を起用しない。使う勇気がない。その癖、勝ちたいから田島、田島となる」
今季田島は振るわず、二軍も経験。権藤氏は、「このままでは投手たちは潰れてしまう」とひたすら慮っていた。そこには現役時代の無念を、後進への教訓として昇華した権藤氏の姿があった。
※週刊ポスト2013年8月16・23日号